"新京阪" 掲示板

 阪急京都線を中心とした、主に鉄道関係の話題を扱う掲示板です。

 タイトル画像をクリックすると、大きなサイズの写真を表示させることができます。

  2013年12月21日(土)改正の阪急京都線のダイヤグラム(平日土休日)を公開中!

管理者:Fair_Fare@U.R.L.

 なお、当掲示板は、非公認の私設掲示板です。阪急電鉄(株)などの鉄道会社や自治体に対して、当掲示板上の内容に関連するお問い合わせ等をなさないようお願いいたします。当掲示板の管理・運営に関するご意見とともに、管理担当Fair_Fareがメールにてお伺いします。また、掲示板にそれらに類する投稿があった場合は、予告や理由の説明なく管理担当者の判断で削除することがありますので、あらかじめご了承ください。



おなまえ 
Eメール 
タイトル 
コメント(タグ使用不可


※ 投稿できない場合は、ご一報ください。


1ページあたりの表示件数:最大20件


● 京阪中之島線延伸計画の現状について

投稿者:通りさん  投稿日:2018/02/18(Sun) 08:40:13
No.4055


表題についてこんな記事が出ておりました

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180216-12182902-kantelev-l27
(視聴有効期限はほぼ一週間)


● 奇しくも同じ日に・・・

投稿者:上新庄さん  投稿日:2018/02/13(Tue) 19:34:41
No.4054

2月11日、相模鉄道の20000系が営業運転を開始しました。

20000系は将来の東急線乗り入れに対応した車両です。

ところがその日の夕方に車両トラブルを起こしてしまいそのまま運転を打ち切りかしわ台に回送されています。

復帰が待ち遠しいですがJR線には未対応なのでJR線対応の車両は別形式になるのか、またデザインがどうなるか注目です。



一方、ひっそりとこの日で引退した車両が。

都営地下鉄新宿線の10-000形です。

開業から活躍していた形式ですが10-300形に順次置き換えられ1997年に作られた最後の増備車だけが残っていましたが2月22日のダイヤ改正を待たずに運転を終えました。

まだまだ使えそうなのですが都営地下鉄の方針なのか廃車される可能性が高いです。

同時期に登場した京都市営地下鉄烏丸線の10系の最後の増備車とは対照的となりました。

本当におつかれさまです。

関東の鉄道は変化が激しいのでこれからも目が離せません!


● 京都地下鉄ダイヤ変更の可能性

投稿者:Z特急(ゼータとっきゅう)さん  投稿日:2018/02/13(Tue) 18:18:56
No.4053

Fair_Fareさん(No.4050)
京津線直通列車を烏丸御池で烏丸線と接続をとる列車として活用すべく、いずれ昼間時間帯は、混雑しがちな烏丸線を9本/h(現在8本/h)、東西線は六地蔵発着6本/hと京津線直通3本/h(現在はそれぞれ8本/hと4本/h)へと変更される可能性が考えられそうです。

いいダイヤだと思います。
この場合、六地蔵発着を単純に10分間隔にすると、間に京津線直通がないところは烏丸御池で10分あいてしまいますので、例えば、六地蔵発着を8分間隔と12分間隔の20分サイクルにして、12分間隔を5分と7分に分けるところに京津線直通を走らせればいいと思います。
一方で、こうすると、運賃が今のままだと、数の多い山科利用者が12分待つことになるところがでてくるので、なんとか全体の運賃を見直して、(地下鉄)山科と京阪山科を同額にできないものでしょうかね。


● スルッとKANSAI磁気カード共通利用終了後の対応

投稿者:SR快速さん  投稿日:2018/02/12(Mon) 10:48:56
No.4052

こちらでは初投稿となります。管理人様には大阪市交通局掲示板ではお世話になっていました。よろしくお願いいたします。

1月31日を以ってスルッとKANSAI磁気カードの共通利用は終了しましたが、これを機に長年共同歩調をとってきた阪急電鉄と大阪市交通局がICカードの対応で袂を分かつことになりました。
その理由は大阪市交通局がJR西日本と天王寺などでのイベントを通し歩み寄りを見せるようになったことか、あくまでPitapaの普及にこだわる阪急電鉄とSuica・Pasmo等他地区ICカードと連携を図りたい大阪市交通局の温度差が出てきたことか一因だと思いますが、実際のところはどうなんでしょうか。
スルッとKANSAI磁気カードについては
 阪急阪神HDは引き続き自動改札でも券売機等でも利用可
 近鉄・山陽・京都市交通局等は券売機等のみ利用可
 大阪市交通局・京阪・南海等は利用一切不可
と牽引してきた社局や磁気カード・ICカードシステム維持コストを考慮したことにより対応が分かれる結果となりましたが、このルールが再び統一されるはいつなのか今後注目していきたいところです。


● 堺筋線ラッピング車

投稿者:堺筋準急さん  投稿日:2018/02/04(Sun) 23:55:08
No.4051

 今月2日より堺筋線66系の66607FにNHK連続テレビ小説の「わろてんか」のラッピング車が現れました。フルラッピングした車両は1両のみ(天下茶屋方4両目の66707号車)で、他の7両は扉脇にステッカーとなっています。


● レールウェイカードの今後

投稿者:Fair_Fare  投稿日:2018/02/04(Sun) 13:48:25
No.4050  - 管理者宛メール -  > 未確認"鉄道"研究室 <

 2018年1月31日(水)を最後に、阪急・阪神・能勢電・北急においてこの4社発行のものを使う場合を除いて、スルッとKANSAIカードの自動改札機での使用が終了しました。券売機や精算機での使用は、阪急・阪神・近鉄・京都市交など一部の社局で継続して可能となっており、対応が分かれています。

 阪急・阪神・能勢電・北急では代替となる「レールウェイカード」が発売され、年始恒例の初詣カードもスルッとKANSAIカード時代に引き続き2018年も発売されましたが、2019年初詣のものは発売されないことが併せて発表されました。さてこれは何を意味するのでしょうか。

 スルッとKANSAI加盟各社がICOCAの発売へと舵を切る中、阪急・阪神・能勢電・北急はそれには加わらず、スルッとKANSAIカードの一斉発売終了の翌日2017年4月1日(土)よりレールウェイカードの発売が開始されました。一方、2017年9月1日(金)にはJR西日本から近畿圏エリアにおいて2018年秋からの予定でPiTaPaカード利用時のポストペイサービス導入が発表されました。そして、2019年初詣のレールウェイカードが発売されない旨の発表があった、というのがこれまでの流れです。

 来年の年始の時点で発売されないレールウェイカードは、初詣カードのみでしょうか。またJR西日本がポストペイ利用を受け入れた後も、阪急はICOCA発売を受け入れないままでしょうか。今年もまた様々な動きがありそうです。


▼ ちさと さん(No.4027・4028・4029)

 阪急神戸本線と神戸市営地下鉄西神・山手線の直通経路候補についての情報提供、ありがとうございます。両線の直通はあくまでも市街地再開発の手段でしょうから、長田または板宿での連絡はそれを求めない場合の比較対象ぐらいの位置づけなのではないかと推察します。あり得ない選択肢ではないとはいえ、唐突に現れた感は否めません。

 新神戸での連絡は、独立した価格設定となる新幹線のネット予約普及に伴って、JR在来線との乗り継ぎが必ずしも第一候補にならない傾向にあることから、阪急にとっては新幹線利用者をより取り込める状況になるとは思います。ただし、それは新神戸での乗り換えが容易であればの話で、たとえば新幹線駅から約250m離れた布引交差点あたりに阪急の駅があっても積極的な利用は期待できませんし、川・道路・地下鉄をアンダーパスする深さであればなおのことです。そもそも東京方面への利用は期待できことから、効果は限定的だと考えられ、大回りなルートに変更してまで実現させるべきことかどうか、新神戸近辺の集客への過大な期待が先行しすぎていないかといった点を含めて、慎重な検討が求められます。

 検討されている大きく3つの案のなかでは、事業費が中程度で、市街地再開発が十分にできそうな三宮での連絡が最も現実的かと個人的には思います。どことなく、突如第三の案が登場した結果、建設費が中程度で、速達性が十分に高いルートに決着した北陸新幹線の大阪延伸ルートの選定過程とダブる印象を持ちました。


 阪急関連の新線計画をまとめていただき、ありがとうございます。ただただその時あるものでしのいでいた鉄道部門冬の時代がしばらく続いたことを思うと、隔世の感があります。なにわ筋連絡線や神戸市営地下鉄との直通は、梅田や三宮の再開発と直結するだけに、期待も大きいのではないかと思います。


▼ 京急八王子 さん(No.4030・4032・4033・4034・4035・4047)

 公営地下鉄の決算に関する情報提供、ありがとうございます。やはり注目は仙台でしょうか。東西線は減らしに減らした需要予測にすら満たない状況とはいえ、再開発によってこれから発展するであろう地域を通りますから、今後の推移に注目されます。都営大江戸線ほどとは言わないまでも、化ける可能性はあるかもしれません。


 阪急・能勢電・阪神・神鉄の終夜運転についての情報提供、ありがとうございます。各社・各線とも特に変化はないようですね。


 鉄道ピクトリアル臨時増刊号についての投稿、ありがとうございます。かつては10年ほどの間隔で出ていた各社の臨時増刊号も、最近では10年ではネタが集まり切らないのかずいぶん間延びしてしまいました。もう20年以上前になる前回の阪神の臨時増刊号では、阪神・淡路大震災による被害から概ね復旧し、直特運行開始を匂わせる言及があったことを思い出します。今回は、尼崎での近鉄直通列車の増結解放を減らしたい旨の言及があり、これが近鉄線内の6連列車が増えることを意味するのか、阪神線内での長編成の実現を意味するのか、今後に注目です。

 阪急との関わりが増える神戸高速鉄道開業後の阪神についてはある程度分かりますが、それ以前となるとほぼわからないことだらけで、ご指摘の武庫川線関連の歴史も初めて知ることが多くありました。知っていたのは、国鉄との貨物輸送とそれに伴う三線軌条、あとかつて洲先が終点だった時代にその先まで線路が伸びていたことぐらいでしょうか。武庫川団地前延伸後は紛れもなく大手私鉄の支線といった様子になりましたが、それ以前のおよそ阪神間とは思えないローカル線感を醸し出していた時代に一度乗っておきたかったと改めて思いました。


 京王れーるランドへの新5000系カットモデル搬入についての情報提供、ありがとうございます。形状や運転席からの視界を検討・検証するためのモックアップだと推察しますが、常設できる場があることが素晴らしいと思います。


 京王ライナーについての情報提供、ありがとうございます。首都圏他社の同種の列車と比較したときに、停車駅の選定には共通性を感じますが、料金が400円というのはずいぶん強気に出たなと感じます。JRのホームライナーや小田急のホームウェイより高くならないギリギリの値段ですが、利用者は車内設備の違いには必ずしも敏感に反応しないという判断でしょうか。

 ライナー券未購入者対策としては、新幹線などと同様に車掌による座席指定と着席状況のチェックがあり、事前購入しなかった場合は+300円というなかなか高いペナルティがありますので、乗車時の改札はしなくてもそれらが抑止力となるとの考えなのでしょう。新宿を出て最初の停車駅が府中・京王永山で、時間はたっぷりありますから、仮にライナー券未購入者がいても回収し切れるという読みもあるだろうと思います。利用されましたら、列車の運行や車内の様子などを教えていただけると幸いです。


▼ 671001 さん(No.4036・4037・4038・4039・4041・4042・4043)

 開業前後の新京阪線についての資料収集と執筆、ありがとうございます。現存する路線でも、その歴史には伝わっていることと知らないことがあることが自らの中で浮き彫りになります。

 過疎地ともいえる沿線人口だったとのことで、それを反映してか駅の位置こそ異なるものの途中経路はほぼ計画通りのルートで開業しているようである一方、大阪市内・京都市内のなかなか思うようにはいかない様子が対照的です。梅田を目指す大阪市内の動きは比較的よく取り上げられるのに対して、京都市内は高架の計画が地下になったことが京阪の社史を引用する形で触れられる程度であることが多く、桂川から大宮へ直線的に向かおうとしていたことや、地下線内はコンコース階ありの島式ホームで計画されていたことなどは初耳でした。

 仮に高架で大宮に達していたとして、堺筋線との直通にあたって天神橋を高架から地下へと移したのと同様の形での河原町延伸は可能だったと思われますが、島式ホームで地下駅を建設してしまっていたら、その後の長編成化にどのように対応しただろうかと思わないではありません。結果的にその後に禍根も遺構も残さない形となったこともあって、紆余曲折の末なんとか梅田乗り入れを果たした大阪方と比較して、たらればを含めて歴史を語る面白味に欠ける面はあるかもしれないと感じました。

 鉄道黎明期には参拝者輸送を目的とした計画が多数ありましたので、柳谷方面へ向かおうとしたことは理解できますが、長岡〜柳谷は一般の鉄道で対応できる高低差ではなく、この間の計画は半ば利権確保目的だった可能性はありそうです。その中でも海印寺あたりまでなら距離を稼げば勾配を克服できそうですので、現実味を持たせるためにも、新京阪洛西線は大回りなルートで計画されたのではないかと推察します。

 今回も勉強になりました。また楽しませていただきました。改めてありがとうございます。


▼ 麻夫 さん(No.4040・4045・4048)

 横浜市交ブルーラインの新車についての情報提供、ありがとうございます。現在の標準的な車両になったようですね。交通局の公式サイトにて運行予定時刻が公開されていますが、一往復に2時間30分程かかることもあって都合を合わせて乗るのも容易ではなさそうです。


 京都市電廃止から40年ともなると、現在でも残るその痕跡は、JR在来線をまたぐ大宮通の跨線橋の架線柱ぐらいで、当時を偲ばせるものはもはやほとんどなくなってしまいました。広島電鉄が車両を大事に使ってくれているのが幸いです。

 市バスの均一区間系統はかつて前乗り後降りだったものを、整理券系統と乗り方を統一するために後乗り前降りに改めたそうですが、不慣れな人向けにわかりやすさを重視したものが、時を経て不慣れな人向けに元に戻すことになるとは思いもよらなかったのではないかと思います。ノンステ時代となり前中扉の車両が標準になったこととも無縁ではないのでしょう。また、京都バスエリアの均一区間化が進んだことで、市内中心部に乗り入れる整理券系統が数少なくなったことが後押しした面がありそうです。ご指摘のように、京都バスも合わせる可能性はありそうですね。全面的に均一区間系統が前乗り後降り化されると、特に混乱しがちな京都駅前の降り場で劇的な効果があるだろうと思います。


 西鉄の観光列車についての情報提供、ありがとうございます。この手の列車に適した短編成を組める形式が一般車であるケースが多いことと、西鉄の場合は種車の扉の多さも活かされているように思います。各社とも実績がない中、あまり大きなリスクを抱えずに始めてみようと考えると、同じようなプロセスに辿り着くのかもしれませんね。


▼ 上新庄 さん(No.4046)

 京阪大津線のダイヤ改正についての情報提供、ありがとうございます。運転間隔の拡大と区間運転の縮小は、谷町線のダイヤ改正を思い出させます。ただ、京津線の昼間20分間隔化は都市鉄道のサービスレベルとしての最低ラインを割っているようにも感じるところで、いよいよそこへ踏み込んでしまったかという印象を受けます。朝の一部列車を除いて太秦天神川直通に統一されるのも、現在の車両数なら4本/hのままで可能ですから(京都マラソン開催時の特別ダイヤではそのようになっている)、減便と引き換えに実現したことと捉えるのは適切ではないように思います。

 さしあたり地下鉄側の列車のダイヤはそのままのようですが、太秦天神川発着が基本となる京津線直通列車を烏丸御池で烏丸線と接続をとる列車として活用すべく、いずれ昼間時間帯は、混雑しがちな烏丸線を9本/h(現在8本/h)、東西線は六地蔵発着6本/hと京津線直通3本/h(現在はそれぞれ8本/hと4本/h)へと変更される可能性が考えられそうです。


▼ 通りすがり さん(No.4044)

 能勢電7200Fの夜間試運転についての情報提供、ありがとうございます。足回りがずいぶん変わったようで、長く使うつもりであろうことがうかがえます。裏を返すと5100系は、そもそもつなぎの役割だったということになるでしょうか。


▼ 通り さん(No.4049)

 日比谷線の営業列車での車内BGMについての情報提供、ありがとうございます。不特定多数が出入りする場、たとえば店舗ではBGMが流れていることは珍しくありませんから、車内BGMも特に違和感ありませんし、13000系はもとよりそれを想定した高音質なスピーカーを備えているそうですから問題なさそうですが、あまりにも音質が悪いとかえって気に障るかもしれません。そもそもBGMは耳を傾けるものではなく、不可避なノイズを和らげるための中和剤、いわば「マイルドなノイズ」ですから、聞き流せる音楽をかき消されない程度の音量で流せば十分に役割を果たすでしょう。その点でクラシックやヒーリング音楽を通常放送の8割程度の音量で流すのは正解だと思います。


● ちょっとしたプチ情報

投稿者:通りさん  投稿日:2018/01/31(Wed) 07:08:29
No.4049


(情報源は日刊スポーツからです)

東京メトロ日比谷線内では最近一部の運用営業列車で走行中にクラシックBGMを流す列車が登場しております

現時点では毎日一日四便限定なのですが・・・
今は試験的要素が強いですので今後の動向は反応や要望次第でしょうね


● 西鉄クルーズトレイン

投稿者:麻夫さん  投稿日:2018/01/28(Sun) 18:24:03
No.4048  - E-mail -

 こんばんわ、以前からうわさとなっていた西日本鉄道のクルーズトレインですが、来年より運行されるそうで、同社では初めてとなる、特別料金徴収車となるとのことです。
 この車両は車内で食事も楽しめるとのことで、ベースとなる車両も気になっていましたが、6050型だとのことで、ひそかに8000型を活用して復帰も期待していたのですが、残念な事にその願いはかないませんでした。
 ところでこの車両もそうですが、最近は通勤型をベースにして高級志向の観光列車が増えており、JR九州の“或る列車”など、以前は高校生などを相手に活躍していた車両が、豪華列車となるとは…
私鉄でも東武6050系や西武4000系、近鉄6200系などが、観光列車に生まれ変わっており、以前なら料金を徴収する特急用車両が、一般用に格下げされるケースはありましたが、今はその逆のケースになるとは…やはり少子化や人口減少などの通勤通学客の減少などの影響もあるのでしょうか!?


● 京王の話題から

投稿者:京急八王子さん  投稿日:2018/01/27(Sat) 20:49:04
No.4047

こんばんは

今年も決算情報と京王をメインにした情報を投稿して行きます。

京王の話題です。

京王の有料列車の愛称ですが「京王ライナー」に決まりました。

愛称:京王ライナー
運行区間:新宿→京王八王子、新宿→橋本
途中停車駅:
・京王八王子行き:府中、分倍河原、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、北野
・橋本行き:京王永山、京王多摩センター、南大沢
発車ホーム:2番線(相模原線特急・準特急・急行のりば)
発車時刻:
・京王八王子行き(平日:20時から24時までの毎時00分、土休日:17時から21時までの毎時00分)
・橋本行き(平日:20時から23時までの毎時30分と24時20分、土休日:17時から21時までの毎時20分)
ライナー(座席指定)料金:400円
ライナー(座席指定)券は京王ライナー専用券売機またはWebにて購入できます。
 Webの場合は京王チケットレスサービスで購入できるとのことです。

ライナー(座席指定)券が必要なのは新宿から乗車する場合のみで、品川発の京急ウィング号や池袋発のTJライナーと同じやり方です。
京急ウィング号は一部車両のみドアを開けて乗車時に改札。
TJライナーは3番線の降車ホームをライナー運行時間帯のみ閉鎖した後、ホーム内に改札を設け、ホームに入る時に改札を行っております。
しかし、京王ライナーの場合は乗車時の改札はやらないそうです。
システム上にて管理できるのだろうと思いますが、ライナー無賃乗車する輩も出てきそうで気になりますけど私だけでしょうか?

京王線沿線に住んでいますので、運行開始後に一度利用しようと思います。

最後に
新5000系の状況ですが、5編成(5731Fから5735F)出揃っています。
デビュー当時は本線各停運用がメインでしたが、最近は本線や相模原線の特急・準特急運用に就くことも多くなっています。
しかし、デュアルシート車両ですから、朝ラッシュ時間帯の上りだけは各停運用限定にしてほしいものですね。

また、運行開始と同時に平日朝ラッシュ時間帯に準特急を6本運行開始します。
(京王八王子発2本、橋本発2本、京王多摩センター発2本)
そして、途中にて種別変更する列車の案内表示も変更するので楽しみですね。


● まさかそこまで!?

投稿者:上新庄さん  投稿日:2018/01/27(Sat) 03:27:21
No.4046

京阪電気鉄道は26日、3月17日に大津線(京津線、石山坂本線)のダイヤ変更をします。
まずは駅名変更から。
浜大津、坂本、皇子山、別所の各駅がそれぞれ、びわ湖浜大津、坂本比叡山口、京阪大津京、大津市役所前に変更されます。
改正では、京津線はびわ湖浜大津から太秦天神川間、石山坂本線は石山寺から坂本比叡山口の本数を昼間時間帯(午前10時〜午後3時)は、京津線は約20分間隔でびわ湖浜大津から太秦天神川間を、石山坂本線は10分間隔で石山寺から坂本比叡山口間を通しで運行し、京都市役所前折り返しと近江神宮前折り返しがそれぞれなくなり、びわ湖浜大津−京都市役所前間と石山寺−近江神宮前間は減便になります。

たがこれだけではない!!

さらに衝撃の展開が!!

両線ともに最終列車の発車時刻を35〜40分繰り上げます。

・・・繰り上げる!?

ただでさえ減便なのに終電繰り上げ!?

たしか大阪市営地下鉄は終電を繰り下げてますし逆に以前繰り上げたJRでさえそこまで繰り上げはしませんでした。

しかし!

京阪京津線、石山坂本線はかなり踏み込んだ繰り上げを実施します。

たしかに夜中の両線は利用者が極端に少ない印象ですがそこまで利便性を悪くするとさらに悪循環にならないか心配です。

将来的には夜間の運転はやめてバスで代替ってことも視野に入れてるのでしょうか。

さすがにびわ湖の花火大会はなんとかなるとは思いますが将来廃線にならないか今後に目が離せません!


● 京都市交通局関係・・・

投稿者:麻夫さん  投稿日:2018/01/14(Sun) 19:40:02
No.4045  - E-mail -

 こんばんわ、今年の9月で京都市電が廃止になって40年になります。他の多くの都市では昭和40年代までに路面電車を廃止したのに対し、京都市電は昭和53年まであったので、結構あとまで残っていたのではないでしょうか!?そのため私自身も一度だけ京都市電をリアルタイムで見たことがあり、実際に乗ったこともありました。
ただし当時は市電の車両より市バスに目が行っていたので、ダダをこねたことも覚えていますが、乗った時期が廃止直前の昭和53年3月で、これが最初で最後だったので、今となっては貴重な思い出で、写真を撮ってもらわなかったのが、残念です。また、このころ、横浜の自宅で京都市電の特集をテレビで見たことも覚えており、画面に映し出された暗闇の中をトレーラーに積まれて市電車両が次々と去ってゆく、そして暗い車内の中のつり革が揺れている映像は、思い出すたびに切なくなります。あれからもう40年もたつのかと、時の流れを感じますが、現在の京都市営の動きとしては、烏丸線に、将来新車が入るとのことですが、同線で活躍の10系のうち、後期型は、VVVF制御に更新されつつありますが、この更新車と、東西線の50系の一部にスクロールサイズながら、液晶モニター案内表示に交換された車両が出現したとのこと、また、バスに関しては、昨年前のり方式の実証実験を行ったところ、好評だったので、順次前のり方式に変更するとのことですが、いつなのかは公表されていませんが、市バスの現在の仕様は、側面の表示器が後ろ側なので、今年度の新車から何らかの変更が行われるのではないかと思われ、同じく市内を走る京都バスも、市バスとともに市内の重要な足なので、これに合わせて前のりに仕様変更される可能性が有ります…


● 能勢電7200系

投稿者:通りすがりさん  投稿日:2018/01/10(Wed) 01:28:46
No.4044

能勢電の7200Fが終電後に水無瀬界隈で
夜間試運転を行いました。


● 新京阪鐡道-7

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/07(Sun) 10:22:38
No.4043  - E-mail -

『新京阪鐡道』-7  No.4042のつづき  

「新京阪京阪間のルートまとめ」
・免許線=大阪側不明-大山崎-長岡京市役所付近-向日町競輪場付近-桂東小学校付近-西大路五条付近-四条大宮
・城北京都線=城北-吹田-茨木-高槻-山崎-長岡-向日町-桂-京都(四条大宮)・・桂川から高架で京都市内へ
・開業時=天神橋-長柄-淡路-上新庄-吹田町-正雀-茨木町-高槻町-山崎-長岡天神-西向日町-東向日町-桂-西京極-京都西院仮

「史料図面について」
・史料の署名、捺印
ここまで数多くの史料図面を見てきました。そのほとんどに 主任技術者 松島寛三郎 と署名、捺印がされている。
京阪社史「京阪百年のあゆみ」によると
 新京阪鐡道の路線建設にあたっては、鉄道省の勅任技師である松島寛三郎を迎えて技師長兼支配人とした。 とある。
後に京阪電鉄の役員になられたようであるが、新京阪建設には欠かせぬ人材であった事と思う。
新京阪の路線形成に色々と変遷がある事から、松島寛三郎さん始め関係者のご苦労が偲ばれる。

・史料の数値 
 史料の数値には、哩(m)、鎖(ch)、節(L)、呎(フィート)等が使われ、数値のみで単位が表示されない事も多い。
従って数値のみの場合、例えばホームの長さはフィート表示と解釈し、メートル表示にしています。
所で、阪急京都線の曲線部分の線路脇に立っている曲線表示は604や1207と表示されている。600や1200ではいけないのかと思うがよくよく考えてみると建設当時は30鎖や60鎖で設計、計算されていたためである。
 R30鎖…30ch X 20.12m=603.6m 604と表示  R60鎖…60ch X 20.12m=1207.2m 1207と表示
尚、この件に関しては、阪急電鉄に確認していません。個人の推測です。

「鉄道競願時代」
これまでごく一部しか他社の鉄道計画についてはお伝えしていませんでした。
実は、史料を紐解くと大正から昭和初期には多くの鉄道計画がそれも吃驚する程ありました。余りにも多すぎて書き切れなかったのです。京都府だけで50社以上、まだまだあります。
 玉石混交、各地でともかく鉄道計画を出そうやという雰囲気と本気で検討された計画もあります。しかしそのほとんどが未完つまり、「聞キ届ケ難シ」として終わっています。
ここで取り上げた「名古屋急行電氣鐡道」や「京阪大津線・六地蔵線と新京阪山科線」は未完と終わりましたがその目的、本気度は高かったと思います。

「淀川西岸線」
 新京阪建設の基となる計画が「淀川西岸線」、京阪本線の野江-淀間のバイパス路線として計画されたがその実態については京阪社史「京阪百年のあゆみ」に記されているがルートは略図のみで詳しい事はわからない。
上記、ルートまとめで免許線の大阪側を不明としたが淀川西岸支線と関係しているのではと思う。今後調べてみたい。

『参考文献、他』
・鉄道図書刊行会 鉄道ピクトリアル 各号 個人所有
・PRESSE EISENBAHN 阪急でんてつ P6 -ディ100物語- 1974年8月発行 個人所有
・PRESSE EISENBAHN レイル No.43 阪急京都線特急史 2002年10月発行 個人所有
・京都府庁文書 昭 4 97 地方鐡道免許命令書調査一件 昭和四年
・京都府庁文書 昭 3 163 新京阪鐡道 自二十二哩六十鎖 至二十四哩七十鎖 間工事施工
・京都府庁文書 昭 3 162 新京阪鐡道 自十八哩 至二十四十四鎖 間工事施工
・京都府庁文書 昭 3 58-1 新京阪鐡道 工事施工
・京都府庁文書 昭 9 160 昭和三年 新京阪鐡道 洛西線工事施工
・京都府庁文書 昭 9 161 昭和三年 新京阪鐡道 洛西線施設 並権利譲渡一件
・京都府庁文書 昭 9 69-4 地方鐡道 昭和九年
・京都府庁文書 昭 5 88-1 土地収用 昭和五年
・京都府庁文書 昭 4 118-2 道路占用一件 昭和四年
・京都府庁文書 昭 6 41-3 昭和四年 京都市近接市町村編入一件調査材料
・上記以外にも、京都府庁文書関連書多数
   以上、京都府立京都学・歴彩館所蔵  閲覧申請必要。 写真撮影別途申請必要。
・太田みつひろ(みつひろは漢字) 「電鉄生活三十年」1938年 京都府立図書館本館所蔵
・京阪電鉄社史 「京阪百年のあゆみ」 2011年3月24日発行
・京阪六地蔵線と新京阪洛西線 -昭和初期の京都近郷の鉄道計画- 若林正博
   京都府立総合資料館 資料館紀要 第四十五号 平成二十八年十一月
   以上、京都府立京都学・歴彩館 閲覧自由
・JTBキャンブックス 鉄道未成線を歩く 私鉄編 森口誠之 2001年9月発行 個人所有
・京都新聞 2009年9月3日 近代化遺産クロニクル 100年のキョウト
・京都新聞 2017年9月8日 R無限軌道を歩く 新京阪洛西線
・阪急電鉄 社史「100年のあゆみ 通史」 個人所有
・ロードマップはMapionキョリ測を利用
・地理院地図(電子国土Web)
・e-Stat政府統計の総合窓口 昭和5年国勢調査

『最後に』
「名古屋急行電氣鐡道」から「京阪大津線・六地蔵線と新京阪山科線」さらに「新京阪鐡道」と2時間の旅、長らくのご乗車ありがとうございました。 終着駅に着きました。

 大正から昭和初期は鉄道の発展期のようです。その際の史料が埋もれたままであったというのは何とも言えません。少なからずその史料に触れた限り皆様にお伝えしなければという思いで書きました。

 色々と歴史がありましたが、今年は新京阪京阪間開業90年、数年後には関西初の地下鉄道も開通90年となります。京阪が創った新京阪がいつの間にかライバルとして、世の中は変わるものです。

長文となり失礼いたしました。誤字、脱字、思い違い、見間違い等色々あると思いますがご容赦下さい。























































● 新京阪鐡道-6

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/06(Sat) 10:34:39
No.4042  - E-mail -

『新京阪鐡道』-6  No.4041のつづき

『新京阪洛西線と嵐山線』
新京阪洛西線(嵐山線)は昭和3年11月7日に開業した。しかしすんなりと開業した分けではない。
元々は京都電燈が嵐山と乙訓地方の海印寺を結ぶ計画をもっていた。この線は新京阪に並行する事で新京阪の開業が現実になると重複となるので昭和2年10月13日に新京阪に譲渡される事となった。
昭和3年3月15日に洛西線工事施工ノ件として鉄道大臣に申請され、その際に洛西線工事方法書、及び添付図面目録と起業目論見書記載事項変更申請が出されている。 この時点では嵐山線ではなく洛西線となっている。

「工事方法書」と「添付図面」から要点のみ記す。
・全線複線である。車両と修繕設備は現在のもので行う。
・線路実測平面図、線路実測縦断面図、停車場及び停留場設計図が添付。
・変更事項として、起終点の変更、軌間の変更1.067mから1.435mへ。

『新京阪洛西線』
「線路実測平面図」と「停車場及び停留場設計図」からルートをたどる。
・「桂停車場」-「上桂停留場」(桂から1.4Km)
桂停車場は島式4面8線で新京阪最大クラスで駅東側に駅舎がある。この駅の最大の特徴は洛西線が立体交差で京都方面と平面交差しない配慮されている事にある。さらに西側には10本もの留置線があり、内6本は車庫として上屋が設けられている。「城北京都線」では停車場の位置は山陰街道の南側であったが現在地に変更されている。
「上桂停留場」は相対式ホームで駅舎は嵐山側東側にある。

上桂-「松尾停留場」(桂から2.8Km)
「松尾停留場」は相対式ホームで駅舎は嵐山側西側にある。

松尾-「嵐山停車場」(桂から4.1Km)
松尾の手前から嵐山までは京都電燈の計画したルートをそのまま走る事になる。
「嵐山停車場」は頭端式ホームで両側ホーム3本と片側ホーム2本で4線、別に引き上げ線2線ある。
 新京阪「洛西線」は昭和5年9月15日に「嵐山線」に変更された。

『京都電燈洛西線』
新京阪に譲渡したが、京都電燈洛西線についても起業目論見書に基ずきルートをたどる。
嵐山停車場-柳谷口停車場間 延長11.4Km 軌間1.067m
・嵐山停車場…起点で新京阪嵐山停車場より、より渡月橋に近い位置に計画。
・松尾停車場…新京阪と同じ位置。松尾大社前。
・山田停車場…新京阪上桂西400m位、苔寺へは1Km程。
・川岡停車場…新京阪桂西700m位の山陰街道交差点に計画。
・向日町停車場…新京阪向日町とは少し離れている。向日神社に近い。
・粟生口停車場…乙訓寺に近い、光明寺へは1.5Km程。
・長岡停車場…長岡天満宮の八条ケ池北西。
・柳谷口停車場…奥海印寺通りの光風美竹通り交差点付近で終点となる。柳谷観音へは3.5Km程。
 ここで東長岡からの洛西線と連絡するはずだがなぜか連絡していない。
設立理由としては、洛西地方はには名所旧跡が多く近時京都市の膨張は西南方面に発展している。近い将来に於いては大阪、京都と最速交通機関完成を見て本鉄道を利用すれば、終点付近にある柳谷観音は古来より近畿に於ける稀に観る霊場と称される、従って旅客も増加し地方開発に資する。 と理由づけている。

『新京阪洛西線東長岡-海印寺間』
 2017年(平成29年)9月8日の京都新聞に、連載中の「夢幻軌道を歩く」Rに新京阪洛西線が掲載されている。
記事で、知られなかった未完鉄道がまたひとつ明らかになったが、この鉄道に関しては全く意味不明で理解出来ない鉄道計画であったと思う。
 新京阪洛西線は元々は上記京都電燈が計画した洛西線と一体となる東長岡-海印寺間の支線の事で、洛西線全体が新京阪に譲渡された事から新京阪の支線になったのである。

・残された資料より、明らかにしたい。
計画区間 東長岡停車場-海印寺停車場間 複線、2.0Km
ルート 新京阪長岡天神停車場近くの北西に東長岡亭主場がありホームは駅舎と一体となった1面で長さは46mとなっており、引上げ線が2線あるも行き止まりで新京阪とは繋がっていない。
 この線が意味不明というのは、線形が半円形で直線なら1.5Kmが2Kmとなり複線で途中駅もなく計画された事である。直線で進むと長岡天満宮にかかってしまう事を避けたのか定かではないが理解出来ない。さらに終点の海印寺から柳谷観音へ行くには徒歩連絡で900m先の柳谷登山鉄道(未完)に乗換える事となる。なぜ柳谷観音まで目指さなかったのか中途半端な計画であった。

昭和4年10月11日に廃止許可申請
理由書には(要旨)、現時点では運輸営業の収支見込めず廃止の余技なき次第となった。
しかし地方鉄道の利便を考え、長岡天神より柳谷観音に至る区間に自動車専用道路を築道して乗合自動車営業を行う。
昭和5年2月22日鉄道大臣より許可。

「乗合自動車線」
上記洛西線は、京都電燈が計画し新京阪が譲り受けた路線であるが「乗合自動車線」は新京阪が計画した。
ルートは、長岡天神-柳谷観音間4Kmでその内、金ヶ原迄の2.2Km区間が認可区間で以降は延長申請区間となっている。
 毎日午前6時より午後8時まで20分毎に発車、車両数10輌、定員10人。
自動車専用線のルートをたどると、起点は長岡天神西口、線路に沿って南下し西山天王山駅付近で南西へ金ヶ原となる。ここからは山中に入り標高235mの柳谷観音となる。
 この計画も未完となった。その時期と理由は不明であるが全線開業となっても半分は山中走行で乗客の確保も見込めなかったのではと推測する。
ただ自動車交通が黎明期の時代、専用道路を造ってまで乗合自動車を走らそうと考えたのは時代を先取りした事か。

つづく。







● 新京阪鐡道-5

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/05(Fri) 16:44:44
No.4041  - E-mail -

『新京阪鐡道』-5  No.4039のつづき

『京都地下線』
 西院、大宮駅のホームに立つと上下線中央に薄汚れてはいるものの頑丈なH鋼が連立しており実に見事である。
地下線建設にあたっては、基本設計は京都帝国大学に依頼、工事技術が未熟、地質が固く複雑な地下水路等で工事は困難を極めたあるが、2年程で完成した。 関係者の大変な努力があった事と感じる。
 間もなく90年近くなるが関西初の地下鉄道を支えてきた技術遺産そのもので、土木学会推奨の土木遺産に指定されている。
2009年9月3日の京都新聞にも、近代化遺産クロニクル100年のキョウトとして紹介されている。

 さて、京都市内乗入れが高架から地下へと変更される事になった。
この件の経緯については、京阪社史「京阪百年のあゆみ」に記されている。
要約すると、
・乗入れは当初高架であった。しかし建物撤去や用地取得に600万円を要するため、経路や方法を決めかねていた。
・他方、京都市では四条大宮-西院間の道路拡幅と市電の新線計画をたてていた。その経費300万円が重荷であつた。
・そこで新京阪に対し経費負担を条件に四条河原町まで地下乗入れを認めると京都市から伝えられた。
・その結果、1926(大正15年)年9月27日に京都市長と新京阪鐡道社長との間で地下線で終点は四条河原町とする事、新京阪は京都市に300万円を納付する事を定めた「契約書」に調印がなされた。 とある。

桂川橋梁から直線高架で京都を目指した当初計画の城北京都線も西京極から地下駅となる西院へ、西院から四条通りを地下で大宮へと経路変更と同時に西京極、西院停車場が誕生する事になる。大宮も地上駅から地下駅へ。

 京都地下線の西院-大宮間は昭和3年6月15日着工、昭和6年3月31日に開通した。開通時の関連事業も併せて記す。
西院、大宮停車場は地下駅となつたが、駅舎の位置と構造は当初計画に対し実施計画では以下の様に変更される事になり、昭和4年4月2日西院、7月24日に大宮と設計変更を願い出ている。
内容としては、駅舎の位置は利便性の向上、駅の構造は2層構造を単層構造に変更し、乗降場は島式から相対式に変更、幅員の増大を図り混雑緩和を図るとある。
・西院停車場
 駅舎の位置 当初計画…四条通り嵐山電鉄との交差部、東北側。
       実施計画…西大路四条交差点南西角(現在地)
 駅の構造  当初計画…2層構造で上層は通路、下層は島式ホーム、出入りは両端。
       実施計画…単層となり、ホームは相対式(長さ137m、最大幅8m)出入りは西側。
・大宮停車場
 駅舎の位置 当初計画…四条大宮交差点の西50m位四条通り南側。
       実施計画…四条大宮交差点北東角(現在地)
 駅の構造  当初計画…2層構造で上層は通路、下層は島式ホーム、出入りは両端。
       実施計画…単層となり、ホームは相対式(長さ141m、幅8m)出入りは東側。

「大宮停車場本家新築設計圖」
 大宮停車場本家新築設計圖が残っている。青焼きで1枚ものだが、東・北建圖、断面圖乙・丙、第一階平面圖、地下階平面圖、が描かれており、現在の大宮駅は改築されているものの地階は雰囲気が残っている。

「西院仮停車場」
京阪間の開業時、西院駅は地上駅で京都西院仮停車場として開業した。
地上駅に関し当時の記録は見当たらないが、地下化工事開始に当り京都府知事に工事施工方法書が出されている。その中の図面19葉の中に地下線図と共に京都西院仮停車場の平面図も描かれており、図面によると仮駅の位置は現在と同じ場所で頭端式4ホーム4線となっている。これにより開業したものと思われる。

「西院貨物駅」
 西京極から西院に向け上り線側にもう1線施設出来る路線幅が残っている。西京極貨物線とも呼ばれている様だが、昭和六年十月十五日に新京阪より京都府土木部長宛てに 新京阪貨物設備竣工期限ニ関スル件 として先に認可を受けたが工事方法変更(地下線に変更)により西院貨物停車場及び貨物駅を新設するため竣工期限の延期を願い出ている。
理由として(要約)
一、京都市ニ隣接スル葛野郡京極村ハ京都市都市計画路線ノ決定ニヨリ発展ノ機運著シキモノアル。以ッテ同村ニ京極停車場ヲ新設シ旅客貨物ノ取扱ヒ之ヲ助長セントス
二、京都市内ノ線路ヲ地下線ニ改メタル結果既認可ノ停車場ニ貨物線ノ取扱イナス困難ナルガ故ニ西院貨物停車場ヲ新設
三、西院貨物停車場新設ニ伴イ京極停車場ヨリ本線ニ沿イ貨物専用線路設置、関係村トノ協議ノ結果ニヨリ工事方法ニ変更来タシタリ
 結局地上線の大宮駅の貨物取扱が地下線に変更となった事から西院貨物駅の設置に変更され路盤まで造成されたが、実際に貨物駅が作られたかは確認出来ていない。

つづく。






















● 横浜市ブルーラインに変化が…

投稿者:麻夫さん  投稿日:2018/01/05(Fri) 14:27:34
No.4040  - E-mail -

 今年も宜しくお願い致します…
さて、私の地元を走る横浜市交通局の“ブルーライン”ですが、昨年に11年ぶりの新車である3000型5次車(3000V型)が投入されました。この車両は基本的なデザインは変わっていないものの、ラインのデザインが変わり、座席もオレンジから青になり、間接照明、さらに同線初のLCDモニター式案内表示になるなど、それまでの1〜4次車よりも印象が大分変りました。
今の所一編成しかなく、増備も来年以降なので、乗ることはおろか、見る事もほとんどなく、シークレットな車両となっていおり、当たればラッキーなアイテムですが、このほど、在来の3000型にも変化があることが分かりました。それは車内案内表示が、5次車と同様にLCDに変わった車両が登場したのです。今回交換されたのは、3次車(3000R型)で、今後ほかの車両についても、同じ交換が行われる可能性がありますが、1次車(3000A型)は、廃車になる運命なので、確率はゼロだと思われますが、2次車(3000N型)と4次車(3000S型)については交換されるのか、今後、在来車についても目が離せません…


● 新京阪鐡道-4

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/04(Thu) 09:54:47
No.4039  - E-mail -

『新京阪鐡道』-4  No.4038のつづき

『城北京都線』-2
 城北京都線のルートについて「城北京都線 線路実測平面図」と「城北京都線 線路実測縦断面図」さらに各駅の「停車場平面図」に基ずきたどってみたい。
尚、「カッコ」と表示は青焼きで図面が作成されておりそれに基ずく。

・「城北停車場」-「淀川橋梁」-「吹田停車場」(城北停車場より4.2Km)
「城北停車場」は起点駅で島式2面4線の追越し可能となっている。梅田への将来の延長を目指した構造である。
城北を出て少し進み「淀川橋梁(598m)」を越えさらに進むと上新庄となるがこの時点では駅は設置されていない。
 上新庄を過ぎると直ぐに「吹田停車場」となる。前後を神崎川と下安威川に挟まれた現在の相川駅と位置は同じで島式2面4線の追越し可能であり上り待避線の更に外側に1線と貨物ホームが設置されている。
駅舎は上り線側大阪寄りに設置。
 この平面図には、上新庄から淡路へも連絡線として描かれているが新庄支線として建設された。

・吹田-「吉志部信号所」(城北より5.7Km)
 吹田から少し進むと「吉志部信号所」となる。現在の正雀駅の少し手前で大阪市交通局吹田検車場辺り。
信号所は上り線側に7本の留置線が設けられ、更に8本の留置線が点線で描かれている。信号所なので駅舎は無い。

・吉志部-「茨木停車場」(城北より11.1Km)
 吉志部を出ると直ぐに正雀駅のはずだが、この時点では駅は無く次は「茨木停車場」となる。
茨木は現在の茨木市駅より大阪寄りの茨木川近くに設置され、相対式ホームで駅舎は上り線京都寄りにある。

・茨木-「富田停車場」(城北より14.4Km)
 茨木を出ると次は「富田停車場」となる。
富田は島式2面4線追越し可能で駅舎は下り線側京都寄りに設置されている。
 富田手前、大阪寄り上り線側に車庫が設置されており留置線3線と別に計画線が3線、上屋付きの車庫が一番奥手に6線入る工場が併設されている。

・富田-「高槻停車場」(城北より17.4Km)
 富田を出ると次は「高槻停車場」となる。高槻は現在地より少し大阪寄りに位置する。
島式2面4線で追越し可能、駅舎は下り線側大阪寄りに設置。
上り待避線の更に外側にもう1線あり、大阪寄りに貨物ホームが設置されている。

・高槻-「山崎停車場」(城北より24.8Km)
 高槻を出ると次は「山崎停車場」。山崎は現在地のR604の曲線上に相対式で設置。
駅舎は下り線側京都寄りにに設置。

・山崎-「長岡停車場」(城北より28.6Km)
 山崎を出ると次は「長岡停車場」。長岡は現在地に島式2面4線の追越し可能。駅舎は京都寄りにに設置。

・長岡-「向日町停車場」(城北より30.6Km)
 長岡を出ると次は「向日町停車場」となる。現在の西向日町駅と同じ位置である。
向日町は島式2面4線の追越し可能で、下り待避線の更に外側に1線と共に貨物ホームが設置されている。
駅舎は下り線大阪寄りに設置。

・向日町-「桂停車場」(城北より34.4Km)
 向日町を出ると次は「桂停車場」となる。桂は現在地より大阪寄り山陰街道南側辺りに位置する。
島式2面4線の追越し可能で、上り待避線の更に外側に1線と貨物ホームが設置されている。嵐山線はまだ描かれていない。
駅舎は下り線側京都寄りに設置。
 桂の下り線大阪寄り現在の桂高校辺りに6線の留置線が設けられ、内2線分建屋が設置されている。

・桂-「桂川橋梁」-「京都停車場」(城北より40.1Km)
 桂を出ると次は終着の「京都停車場」となる。「桂川橋梁(397m)」を渡り直進で京都市内の四条通り近く嵐山電鉄(嵐電)の手前まで進み左曲線で東へ。嵐電の南側を高架で進み山陰線を越え「京都停車場」となる。嵐電大宮駅とは隣接する。
 京都停車場のホームは頭端式で3ホーム4線で留置線が5線、更に貨物ホームが設置されている。
大宮通りが駅正面と思われる。

「京都高架線」
 上記桂川橋梁から京都停車場間は高架での乗入れとなるので仮に「京都高架線」として、城北京都線 線路実測平面図、実測縦断面図よりそのルートをたどる。

桂川橋梁からは1/100の下り勾配で御室川を渡り西京極へ、この辺りは地盤より3.9mの高さがある。現行線は左曲線で西院へ向かうがそのまま直進し、1/100の上り勾配で現在の五条通りのイオンモール五条を横切り西大路松原付近を経由し四条通り近くまで北上する。当時は五条通り、西大路通りは開通していない。
 四条通り手前の嵐電嵐山線南側でR704の曲線で東へさらに1/100の上り勾配で山陰線を越える事となる。山陰線からは1/300のの下り勾配となり嵐電と平行して大宮通りとなり終着の京都停車場となる。
 山陰線辺りの標高が29.2m、大宮通り32.5mと高くなっており京都停車場は地上駅で計画されたと思われる。

高架で京都市内へ乗入れた時には、市内中心部への延伸は全く困難な事であったと思うが、幸い「京都地下線」案が浮上し将来の延伸の道が開ける事に。

「城北京都線の駅」 
 各停車場は統一した規格で造られたようで、長さ91m、幅6mとなっておりホーム中央に上屋が設けられホーム端に踏切道がありそこから乗降する。終着の京都のみ98mと長い。貨物ホームは長さ46m、幅6mとなっている。

「城北京都線」のその後
 新京阪の目指した大阪側の起点は梅田であった。梅田から桜ノ宮を経て上新庄を繋ぐルートが思うように運ばず結局断念する事に。変わって近くを走っていた北大阪電鉄が持っていた特許線の淡路-天神橋間に目を付け北大阪電鉄を買収し上新庄まで繋ぐ事で京都への道筋を付けた。従って当初計画した城北-上新庄間は意味を無くし消える事に。
一方京都側では次項で述べる地下線方式に変更となった。
尚、城北京都線で計画された駅や車庫、貨物線等、開業時にはかなり変更されている。いつ変更されたのか理由等は不明。

「別ルート」
 さて、別の史料にこの城北京都線を赤線で認可申請線とし、青線で免許線とした別ルートの描かれた路線図がある。
免許線と描かれた路線図は京都府内分しか見当たらないが、ルートをたどると水無瀬辺りでは現在線と東海道線の中間辺りに線が引かれ、山崎では同じ位置であるが城北京都線が直ぐに東海道線と交差するが免許線は交差せずそのまま北上し、現在のサントリー京都ビール工場辺りで東海道線と交差し北上、長岡京市役所付近を通りさらに北上、向日町競輪場辺りから陸上自衛隊桂駐屯地を横切り桂東小学校付近で大きく北東へ曲がる。現在の桂駅より南東800m程の位置に桂駅が計画されている。さらに進み桂大橋の下流で桂川を渡り西大路五条付近から嵐電嵐山線の手前で東へ山陰線と交差し終着京都となっている。
 いつ作成されたのか不明だが、山崎における東海道線との交差に関し種々検討された最初期案と言えるのでは。

つづく。







 































● 新京阪鐡道-3

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/03(Wed) 09:36:02
No.4038  - E-mail -

『新京阪鐡道』-3  No.4037のつづき

ここからは、新京阪の開業時以前の歴史に踏み込んでみたい。

 先に、計画線として「城北線」と「構想線?」として西京極から大宮をあげたが、その後の調査で両者は一体で「城北京都線」として申請されている事が判明した。 京都府庁文書 昭和三年 新京阪鐡道 工事施工(大正十四年五月廿八日申請書)より記す。

『城北京都線』-1
 大正十二年四月二十日、鐡道大臣に工事施工許可申請が出されている。
添付の工事方法書には、25ページにわたり細かく記載されているがここでは要点のみ記します。
一、動力  電力
二、軌間  四呎八吋二分ノ一
三、全線複線
四、軌道ノ中心間隔  十一呎以上
五、建築定規及車輛限界  省略
六、曲線最小半径  二十鎖
七、最急勾配  百分ノ一
八、土工定規  省略
九、淀川橋梁  省略
十、軌条  本線ハ一碼ニ付百封度、他省略
十一、停車場及信号所  後記
十二、停車場及信号所連動装置  省略
十三、東海道線ト山陰線トノ交差  省略
十四、閉塞信号機
十五、車両  概略
     イ 客車(附随車) 輌数16輌、定員115人
       P-3-PASSENGER TRAILER CAR として三面図がある。 3扉、全席クロスシート
     ロ 貨車     輌数9輌 自重30頓、総積載量20頓、電動機150馬力4個
ハ 電動客車   輌数60輌 定員150人
       P-2-PASSENGER CAR として三面図がある。 3扉、中央クロス、両端ロングシート
       三面図から見る車両は、長さ15.2m、幅2.7m、高さ3.8mである。
十六、車輌修繕設備  富田停車場付近車庫内ニ、他省略
十七、特殊設計  省略
  上記各項目についての説明と必要な図面、契約書が別途添付されている。

さらに添付された文書には下記の説明がされている。(要旨)
・本区間ニ於テハ最長五臺連結ノ電車ヲ運轉
・吹田、富田、高槻、長岡、向日町、桂ニハ待避線ノ設備
・吹田、高槻、桂ニハ貨物線ヲ設ク
・富田、桂停車場並ニ吉志部信号所ニ車両留置線設ケ
とある。

「新京阪の車両」
上記車両とあわせ、PRESSE EISENBAHN「阪急でんてつ P-6 -ディ100物語-」から開業時前後の車両について見てみると、新京阪設立時の大阪側の起点が思うようにいかず、結局北大阪電鉄を買収する事なり天神橋が起点となった。
 その北大阪電鉄が所有していたのが1型でのちにP-1型となる。
Pシリーズをみると 
 P-1 北大阪電鉄1型 8輌 
P-2 上記計画車両
P-3 上記計画車両
P-4 新京阪最初の木造電動車 大正14年2月 5輌製造
P-5 大正15年3月 5輌、昭和2年3月 10輌製造
 P-6 大正15年9月10日、電動車20輌、附随車10輌新造の社内決済、「P-6型車両」と命名。 とある。
同誌の脚注には、P-2、P-3型はどういうわけか存在しないとかかれている。P-2、P-3は計画のみに終わったためか。
 新京阪の主力車輛P-6の最初の20輌は昭和2年12月15日から順次竣工し、淡路-高槻間が開通した際より使用された。P-6はその後数次に分け増備され、貴賓車1輌を含む73輌が昭和4年5月25日に揃う事となる。
 P-2、P-3合わせて76輌の製造が計画されたものの製造された記録が無い。変わってP-6が73輌製造される事になるがP-6に変更されたのだろうか。

つづく。























 















 


● 新京阪鐡道-2

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/02(Tue) 09:36:54
No.4037  - E-mail -

『新京阪鐡道』-2  No.4036のつづき

新京阪の天神橋-西院仮駅(地上駅)間が開業したのは昭和3年11月1日。今年で丁度90年となります。

『新京阪路線平面図』-2
新京阪路線平面図から開業当時の新京阪線を見る。
・天神橋-淡路間 1925年(大正14年)10月15日開業
 日本一の大大阪市*、天神橋停車場を出て長柄停車場を過ぎると新淀川橋梁となる。ここ迄が関西初の高架線である。
新淀川を渡るとすぐに柴島停留場で間もなく淡路停車場となる。淡路は開業時から4方向へ線路は延びているが駅周辺は人家はまばらである。
  *大大阪市…当時は日本一の人口でそのように呼ばれていた。?

・淡路-高槻間  1928年(昭和3年)1月16日開業
 淡路から次は上新庄停車場となるが、新庄支線と呼ばれていた時期もあり上新庄から城北-桜ノ宮-梅田が本線だったようである。上新庄からは摂津平野を北上し吹田町停車場、正雀停車場を過ぎ茨木停車場、富田停車場、高槻停車場となるがいずれも小さな集落でしかも町外れに駅が設置されている。
 ひょっとして正雀辺りから平行する東海道線を走る蒸気機関車が向日町辺りまで見えたのではないか。

・高槻-山崎間  1928年(昭和3年)11月1日 高槻町-京都西院仮間開業
 高槻を過ぎ上牧付近から左車窓に北摂山系が迫り、右車窓には大小の池や沼が数多く見られる湿地帯を通る。間もなく天下分け目の天王山、山崎停車場となる。この区間には駅は設けられていない。

・山崎-桂間
 山崎を過ぎ京都府に入ると一転して乙訓の竹林の中を走り、長岡停車場となる。この駅から海印寺に向け支線が計画されたが詳細については後記する。長岡天神の次は西向日町となりここから山科線が分岐する事になるがまだ計画段階である。次に東向日町停留場となり、桂停車場となる。洛西線が分岐している。

・桂-西院間
 桂から桂川橋梁を渡ると西京極停車場で間もなく終着の京都西院仮停車場となる。
京都西院仮停車場は地上駅で櫛型ホーム4線が確認出来たが詳細は不明である。西院仮駅は開業当時京都府葛野郡西院村で京都市の郊外に位置していた。そして開業後5日目に京都市電の円町-西大路四条間が開通している。
 西院村が京都市に編入されたのは昭和6年4月1日の事。その前日に関西初の地下鉄道となる西院-大宮間が開通。

「沿線風景」
 路線平面図から分かる事は大大阪市を出ると京都まで都市が無く、町や村を直線で結んでいるだけで途中に工場や観光地もなく何も見あたらない。途中駅を見るとよく分かる。茨木、高槻にしても小さな集落があるのみで只々1本の線がしかも直線で走っているだけである。
 平行する東海道線も同じであるが、旅客・貨物の長距離輸送が主体で地域輸送の新京阪とは目的が異なる。

「沿線人口」
昭和5年の国勢調査から沿線人口をみると、 都市名 1930年/2015年 単位-千人
 大阪市 2454/2692 茨木町/市 --/280 高槻町/市 6/352 新神足村/長岡京市 6/80 京都市 765/1475
 大津市 34/341 草津町/市 24/137 名古屋市 907/2296 東京市/都 2071/9273 全国 64450/127094
昭和5年の日本の総人口が64450千人と現在の半分の時代でも、新京阪の茨木町は不明で高槻町はたったの5980人と現在の発展は驚くばかり。
 つまり建設当時の新京阪は過疎地であったと言える。しかも天神橋、西院とも市内中心部から離れており乗るのに一苦労。過大な建設費と共に折からの不況もあって新京阪自身の不振で昭和5年9月15日に京阪電鉄に吸収される事となる。
しかし、現在の茨木市、高槻市等沿線の発展は新京阪の開業によるものと言ってもいいのでは。

「乗降客調査」
昭和五年七月三十日、京都府内部部長より
府内の京都電燈、京阪電鉄、新京阪鐡道、奈良電鉄、鞍馬電鉄、愛宕山鉄道に対し乗降客調査の回答を求めている。
6社の回答の内、新京阪と京都電燈、京阪については一部記す。(単位千人)

 社名/駅名     昭和3年   昭和4年
・新京阪
  大山崎       41     308
  長岡天神      51     713
  西向日町      26     196
  東向日町      51     280
  桂         76     456
  西京極       31     193
  京都西院仮     613 3449
  上桂        24     181
  松尾神社      17     151
  嵐山        49     692
・京都電燈
  四条大宮     2175     2173
  西院       1627     1613
  嵐山       1517     1231
・京阪
  四条       1999     2016
新京阪については、京都本線昭和三年十一日、嵐山線十一月九日営業開始と注記。
京都電燈の四条大宮、西院は新京阪の開業に関わらず変化がないのはどの様な理由か。又、嵐山が大きく減少しているのは新京阪の開業によるのか。

つづく。



























「」






 


● 新京阪鐡道-1

投稿者:671001さん  投稿日:2018/01/01(Mon) 09:59:59
No.4036  - E-mail -

『新京阪鐡道』-1

 名阪間を2時間で結ぶという昭和初期の鉄道計画、「名古屋急行」から「京阪大津線・六地蔵線と新京阪山科線」とルートをたどってきましたが、今回はその最終ルートとなる『新京阪鐡道』です。以下「新京阪」と表します。
 当時の史料が京都府立京都学・歴彩館で所蔵されています。
史料を紐解くと、数々の知られていない歴史が「新京阪」にありました。
先ずは、新京阪創業時の状況を路線平面図から見てみたい。

『新京阪路線平面図』-1
 新京阪全線と計画中の山科線・他が記入された路線平面図が、京都府庁文書「昭和四年 地方鐡道免許命令書調査一件」の中に残されており知られていない計画線、構想線?、他社計画線も記入されている。
平面図には、営業線-赤実線、計画線-赤点線、構想線?-青点線、他社計画線-青点線 で記入されている。

路線平面図の作成年月は記入されていないが、2枚あり記入されている路線は同じであるが、それぞれをよく見ると微妙に異なる。
・1枚目は大日本帝国陸地測量部作成、明治44年10月31日発行の二万分之一尺の地図に記入されており十三で連絡するはずの宝塚線は描かれているが神戸線は描かれていない。
京都に目を移すと山陰線丹波口駅西に京都競馬場が描かれている。京都競馬場は明治40年(1907)から大正2年(1913)までここにあったのだ。
更によく見ると、千里山線東吹田付近から淡路を通り崇禅寺付近まで東海道線上にルートが重なっている事である。つまりこの区間は元は東海道線が走っていた廃線跡を利用したのだ。
・2枚目には十三で宝塚線、神戸線も描かれており、京都競馬場は描かれていない。原図の作成年月は不明だが当時の最新の地図に書き直されたと思われる。

以下、路線図に基ずく駅は
「営業線、計画線」
・新京阪線
天神橋-長柄-柴島-淡路-上新庄-吹田町-正雀-茨木町-富田町-高槻町-山崎-長岡天神-西向日町-東向日町-桂-西京極-京都西院仮…四条大宮…河原町
 西院が京都西院仮停留場とされ終点、西院…河原町間は計画線で烏丸は記入されていない。
・千里山線
淡路-下新庄-東吹田-西吹田-豊津-花壇前-関西大学前-千里山
・十三線
十三-南方-崇禅寺-淡路
・洛西(嵐山)線
桂-上桂-松尾大社前-嵐山
 いずれの駅にも駅名の後に停留場か停車場が付きます。

「計画線」
・山科線
西向日町-上久我-城南宮-深草-勸修寺-山科
 実施計画線が記入されており、山科が終点で京阪六地蔵線は記入されていない。
・城北線
上新庄から直線で南下し、淀川を渡り現在の阪神高速城北出口付近(3.6Km)迄の計画線が記入されている。将来的にはさらに桜ノ宮から梅田を目指す事に。
 この計画線については、以下の3誌にも記されている。
   「鉄道未成線を歩く」森口誠之 京阪電気鉄道梅田線
   「レイル No.43」 阪急京都線特急史
    京阪社史「京阪百年のあゆみ」 城東線旧線敷地利用断念

 1枚目の路線図と2枚目との大きな違いは、1枚目では城北が起点とされ西院まで城北からの距離表示がされされているが2枚目に無い事から当初は城北が本線で、将来の梅田への延長の思惑が読み取れる。

「構想線?」
・西京極から四条大宮への構想線?
現行ルートでは西京極から左曲線で西院へ進むが、構想線は直線で四条通り近くの山陰線西方まで進み大宮まで嵐電の南側を並行する。青点線で記入されており、したがって西京極は通らない。

「他社計画線」
・京都電燈計画線
嵐山と長岡天神西にある海印寺を結ぶ計画であったが、多くの区間で新京阪と重複し新京阪の開業が現実のものとなって京都電燈が所有していた施設免許を譲渡する事となる。青点線で記入されている。
・洛西線
東長岡(長岡天神)から海印寺まで1.9Kmの区間。奥海印寺で鋼索鉄道に乗換え柳谷観音楊谷寺を目指す事となる。赤点線、青点線
の二重で記入されており複雑な経緯が考えられる。
結果的には、採算性、本業に注力するとの事で未成となる。

つづく。






































過去ログ| |管理者専用

- SunBoard -
(Redesigned by Fair_Fare@U.R.L.)