"新京阪" 掲示板

 阪急京都線を中心とした、主に鉄道関係の話題を扱う掲示板です。

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  2019年1月19日(土)改正の阪急京都線のダイヤグラム(平日土休日)を公開中!New!!

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● 訂正

投稿者:堺筋準急さん  投稿日:2019/05/19(Sun) 22:02:18
No.4281

「↔」と表示されている部分は両方向矢印の誤りです。送信の際、うまく変換できなかったようで訂正します。


● 京阪に続き阪急も

投稿者:堺筋準急さん  投稿日:2019/05/19(Sun) 21:56:36
No.4280

先日、京阪が八幡市駅、深草駅をそれぞれ石清水八幡宮駅、龍谷大前深草駅への変更を発表しましたが、今日の産経新聞によると、阪急石橋駅が今秋にも石橋阪大前駅への変更を検討しているとのことです。となると、箕面線車両の表示が「普通|石橋阪大前↔箕面」と窮屈になりそうです。


● 阪急阪神ホールディングス・神鉄の平成30年度決算について

投稿者:京急八王子さん  投稿日:2019/05/18(Sat) 12:27:09
No.4279

2ヶ月ぶりのご無沙汰です。
阪急阪神ホールディングス(以下阪急阪神HD)および同グループである神戸電鉄(以下神鉄)の平成30年度決算が公表されましたので表示しておきます。

@、阪急阪神HDの都市交通事業
 都市交通事業(連結)での営業収益/損益ですが、営業収益は2385億6200万円(1.1%増)、営業利益は434億5500万円(4.5%増)となりました。
 営業収益の増加については連結子会社の増加したこと影響、営業利益の増加については鉄道事業において動力費が減少したことが影響しているものと思われます。
 利用客の増減ですが、阪急は「定期外 0.6%減、定期 0.8%増(通勤 1.2%増、通学 0.0%増)、トータル 0.2%増、阪神は「定期外 1.2%増、定期 1.9%増(通勤 2.0%増、通学 1.4%増)、トータル 1.5%増」となりました。

A、神鉄の運輸業
 営業収益/損益ですが、営業収益は129億3000万円(0.7%減)、営業利益は10億9200万円(0.5%減)となりました。
 利用客の増減ですが、「定期外 1.8%減、定期 0.2%減、トータル 0.8%減」となりました。
 鉄道事業(個別)の営業収益/損益につきましては、公表されておりあせん。

 阪急・阪神はトータルで前年度に続いて増加、神鉄はトータルにて減少に転じました。
 阪急は定期外利用客数が増加と減少を繰り返しています。
 神鉄は前年度に続いて定期外利用客数は減少、定期利用客数も減少に転じた感じです。
 6月の大阪北部地震、7月の豪雨災害、9月の台風21号等の影響を受けながらも、阪急と阪神は影響を最小限に抑えた反面、神鉄は大きく受けてしまった感じですね。


● ちびまる子ちゃんラッピングバス

投稿者:SR快速さん  投稿日:2019/05/01(Wed) 10:51:57
No.4278

こんにちは。令和になって初めての書き込みになります。

通りさん>
>JR静岡駅と東京駅間とを結ぶ高速路線バスではちびまる子ちゃんのイラストラッピングバスが運行されている車両を目撃できました
しずてつジャストラインですね。昨年逝去されたさくらももこさんを偲んでの事でしょう。
私はさくらももこさんと同年なので、彼女の訃報を聞いた時は同級生を一人失ったように感じました。


● ブルーライン・3000型4次車にも・・・

投稿者:麻夫さん  投稿日:2019/04/13(Sat) 16:21:47
No.4277  - E-mail -

 こんにちわ、横浜市ブルーラインを、よく利用しています。
最新の3000型5次車(V型)は、増備が延期になり、今のところ1編成のみですが、3年後にまで延期されたので、さらにモデルチェンジされて6次車となるかもしれません、そうなると5次車はその後も1編成のみとなるので、レアな車両になるでしょう…
 そんな中、既存の車両のLCD表示の取り付けは行われていますが、取り付け車両はそれまで3次車(3000R型)のみでしたが、4次車(3000S型)についても取り付けが行われた編成を目撃しました。
この編成についてはそれまでの3次車と異なり、液晶モニター画面の片方が5次車と同じく、広告動画(デジタルサイネージ)となっているようです。また、LCD設置編成に関しては、行先表示器がフルカラーに変更されたので、外からも判別がつきます。
今後もこのような改造は続くと思われますが、1次車(3000A型)は廃車になるため、設置の予定はないと思われますが、2次車(3000N型)に関しては今年で登場20年で、1次車全廃後、廃車となるのか、それとも3〜4次車同様LCD設置が行われるのか、今後動向が注目さえます…


● 新京成と京成がタッグ!

投稿者:上新庄さん  投稿日:2019/04/11(Thu) 23:53:28
No.4276

新京成電鉄と京成電鉄は新形車両を共同で開発し、新京成電鉄は2019年冬から「80000形」を、京成電鉄は2019年秋から「3100形」を導入します。

車体や基本的な仕様は共通としつつも新京成の80000形はドア上のLCDを2画面とも路線図を使用します。また、行き先表示器にも駅ナンバリングを使い外国人にもわかりやすくします。京成千葉線の乗り入れは未定のようです。
また、京成3100形は空港利用者に配慮してスーツケースが置けるスペースをつくります。またドア上のLCDは2画面ですが片方が路線図、もう片方は広告を流します。
カラーは新京成80000形はコーポレートカラーのピンクを、京成3100形はスカイアクセスのラインカラーのオレンジがベースになります。

ついに新形車両の導入になりましたがまさかの新京成と京成の共同開発、つまりコラボが実現しました!
京成は3100形は復活ですが新京成はまさかの5桁になりました!
これまでは東武8000系に5桁の車両があったり、東武70000系や小田急70000形にはありましたが、それを上回る数字の形式が誕生しました!
新京成がかなり本気になってる辺り、8000形のみならず8800形の置き換えも視野に入れそうです!
ただ気になるのは80000形が自社線しか書かれていませんでした。
京成乗り入れはどうなるか気になります。
とはいえ新京成80000形と京成3100形に期待しましょう!


● 京阪・新京阪梅田線-12

投稿者:671001さん  投稿日:2019/04/08(Mon) 20:12:06
No.4275  - E-mail -

『京阪・新京阪梅田線』-12 No.4273のつづき

「京阪・新京阪梅田線」をまとめるにあたって
 今回は、100年前の「淀川西岸線」から城東線廃線跡を利用しての梅田進出を計画した前後からの動きを取り上げた。
使った史料(公文書等)、資料(社史・一般誌・新聞・他)は主として、京都府立京都学・歴彩館、大阪市公文書館で所蔵されている史料・資料を中心に京阪社史「百年のあゆみ」からである。

 史料はタイプ打ちから毛筆、万年筆等さまざまで手書きで作成された文書は個人差があり読み取れない史料も。更にはお役所言葉と旧漢字で書かれているため素人には理解しずらい。したがって文書の前後の文脈から判断する事が多く間違った解釈をしている事もあると思う。

 又、計画はいくつものルートがあり複雑に絡み合いしかも長期にわたる空白期間があり、一見しただけでは何が何やらさっぱり分からない。そこで分かり易いように京阪社史「百年のあゆみ」の年表をベースに史料・資料から関係する項目を書き加え新たな年表を作成した。年表にはそれぞれの項目に町名・番地を付けすぐに探し出せるようにした。
 ただ全ての史料・資料に作成年月日が記入されている分けではない、不明な史料・資料には前後の文脈から判断せざるを得ない。ここでも誤った判断をしている事もあると思う。

 その史料の閲覧については膨大な量となる為現場で閲覧している時間は限られるので、必要と思う史料を撮影し後でパソコンで見る事となる。実はパソコンで見る事は大変便利な面があり、画像の補正が出来る事から本物の史料より綺麗に出来る事と細かな図面・地図は直ぐに拡大表示が出来見やすくなる。更に必要な個所はプリントする事で持って歩く事が出来る。

 史料を纏めるに当たっては、出来るだけ複数の史料と現在の地図を持参し現地を確認するようにしました。計画だけで終わった事から想像を膨らませるしか有りませんが現地を歩く事で見えないものが見えたように感じます。

 その他、京阪社史には大阪市内延伸計画として6項目が記載され、Eで梅田支線(吹田-大阪間)が挙げられているが確認出来る史料がなくここでは省略としました。逆に社史には記載されていない「梅田支線連絡線」と「高垣町線」を前記の如く取り上げた。

 今回は複雑に絡み合ったルートを少しでも分かり易い様に、路線図を書き入れましたが位置がずれ上手くいきませんでした。「京阪・新京阪梅田線」全線図を描く予定でしたが、一部でもお分かりいただけたでしょうか。

 「京阪・新京阪梅田線」の出来を自己評価すると70点位で今までで一番低い点数です。それは不明な点が色々と残っており調査の限界を感じているからです。それでも今まで知られていなかつた事が多数ありお伝え出来た事は良かったと思っています。

『参考文献・他』
・京阪社史「京阪百年のあゆみ」 2011年3月24日発行 閲覧自由
・京都府庁文書 昭和三年 新京阪鐡道 工事施工
・京都府庁文書 京阪電気鐡道淀川兩岸線竝権利義務譲渡ニ関スル一件
  以上、京都府立京都学・歴彩館所蔵 閲覧申請必要
・電鉄生活三十年 太田光熈 1938年 京都府立図書館本館所蔵
・京阪電気鉄道工事ニ関スル綴 昭和2年度〜昭和5年度編集
・私鉄特許関係書類(京阪其の1) 大正10年〜昭和17年編集
  以上、大阪市公文書館所蔵 閲覧申請必要
・鉄道ピクトリアル 各号 個人所有
・阪急電車 駅めぐり 空から見た街と駅 京都線の巻 昭和56年4月10日 阪急電鉄 個人所有
・PRESSE EISENBAHN レイル No.43 阪急京都線特急史 2002年10月1日発行 個人所有
・JTBキャンブックス 大阪市電が走った街 今昔 辰巳 博・著 福田静二・編 2000年12月1日発行 個人所有
・JTBキャンブックス 鉄道未成線を歩く 私鉄編 森口誠之 2001年9月1日発行 個人所有
・地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関西1 阪神・阪急・京阪 今尾恵介 2017年3月30日発行 個人所有 
以下、インターネットから
・ロードマップはMapion
・地理院地図(電子国土Web)
・国際日本文化研究センター 日文研データーべースの所蔵地図から
・なにわの地下鉄

『最後に』
今回の「京阪・新京阪梅田線」をもって、「新京阪シリーズ」の最終回としたいと思います。
 2017年3月に「名古屋急行電氣鐡道」を投稿しました。最初のきっかけは知りたかつた名古屋急行に関する史料が滋賀県県政資料室で所蔵されている事から始まります。さつそく閲覧させていただくと驚いた事に大津から名古屋迄のルートが2本あったことでした。しかも従来から定説とされていたルートとは全く違いその後の調査で名古屋まで4ルートも計画された事でした。
この事は「名古屋急行」で説明していますが、その後大阪から大津まではどうだつたかと次々疑問が湧きます。
結果として下記のように今回の「京阪・新京阪梅田線」へと繋がりました。
 2017年3月3日〜  名古屋急行電氣鐡道1-7
 2017年8月25日〜  京阪大津線・六地蔵線と新京阪山科線1-6
 2018年1月1日〜  新京阪鐡道1-7
 2018年4月16日〜  京阪淀川西岸線1-6
 2018年11月1日〜  新京阪鐡道続編1-5
 2019年3月19日〜  京阪・新京阪梅田線1-12
結果的に時代背景と新京阪が主体となった事から「新京阪シリーズ」と今になって名づけました。
まだご覧になっていない場合は、いつでも本稿最下段の「過去ログ」からご覧になれます。ぜひご覧下さい。

 投稿したものの、誤字・脱字・思い違い等、後で分かりましたが特に訂正はしませんでした。誤差の範囲と勝手な理由からです。それと皆様の投稿に対する反応は全くわかりません、ひとりよがりの投稿であったと思いますが掲示板管理人Fair_Fare様の好意的なコメントで続ける事ができました。

 史料閲覧に当り、滋賀県県政資料室、京都府立京都学・歴彩館、大阪市公文書館の皆様には毎回大変お世話になりありがとうございました。この場をお借りし、お礼申し上げます。

 今後については、閲覧した資料の中には大正から昭和初期にかけ京阪間の鉄道計画が山ほどあります。お伝えする機会があれば良いのですが。

最後の最後に、「新京阪シリーズ」長きにわたりご覧いただきありがとうございました。


● 名鉄に新系列デビュー予定

投稿者:麻夫さん  投稿日:2019/04/08(Mon) 18:00:44
No.4274  - E-mail -

 こんばんわ、新年度になりました。5月には平成に次ぐ元号である令和時代が始まりますが、名古屋鉄道では、久方ぶりの新系列車両がお目見えするそうです。
 系列は9500系となるようで、これにて小田急・京急・京成・大阪トロ以外の大手(小田急は過去に存在)では、各社で9000番台が存在することになりますが、この新車のデザインは、3300系をベースにしており、正面のライト類と、サイドビューのラインに変更があるようです。内装ではWifiが設定されるほか、液晶モニター案内も大きく感じましたが、この車両もロングシートで、かつての名鉄らしからぬ仕様となるようです。
 名鉄といえば、かつては2ドアークロスシートが標準で、1976年の6000系で3つ扉になったものの、セミクロスシートを採用し、横引カーテンと、大手私鉄の通勤車両としてはゴージャスでした。
また、比較的長く車両を使う会社で、10年くらい前まで昭和30年代の車両もいましたし、戦前型の釣りかけ車両もいましたが、その後はセミクロスからオールロングが増え、さらにステンレスカーとなるなど、かつての名鉄タイプの車両はどんどん減ってゆき、使用年限も10年くらい前に、昭和30年代以前の車両はもとより、昭和40年代の車両も消滅したので、一気に若返りましたが、その分ほかの大手と同じ仕様になってしまいました。
つい先日、名古屋方面に遠征に行った際、遭遇した電車はロングシートの割合が高く、全自由席特急でもロングシート車両で、最後の名鉄タイプの車両ともいえる5700系に関しては、残念ながらまったく出会うことはありませんでした。
しかし新しい車両に遭遇することも多く、2200系の自由席車両や3300/3150けいでは、液晶ディスプレイ式表示器でしたし、蛍光灯もLEDで、ちょっとしたアクリルカバーもついていたので快適でした。
名鉄タイプの車両が消えていくのは残念ですが、これも時代でしょうか・令和時代に登場する9500系にも期待したいところです…


● 京阪・新京阪梅田線-11

投稿者:671001さん  投稿日:2019/04/08(Mon) 09:16:38
No.4273  - E-mail -

『京阪・新京阪梅田線』-11 No.4272のつづき

タイトル欄未記入となり失礼いたしました。

『電鉄生活三十年』
 この時代のトップであつた太田光熈さんの自伝「電鐵生活三十年」については、先の『名古屋急行電氣鐡道』と『淀川西岸線』でも一部紹介していますが、城東線払下げ問題を下記のように記しています。 要旨を記します。

十四 城東線拂下問題
・元田鐵相に話込む
 主務官庁の命令に従って、淀川西岸線は天満橋以外に起點を設ける事になつた
政府で城東線の改築の計畫がある事を知り、元の線路は癈線となるのでこれを京阪で負擔し拂下げを受けると梅田に起點を得られる。そこで京阪が拂下げを受ける事が得策と考え、その改築費用五百七十萬圓を京阪で負擔し拂下げを受ける決心をし鐵道院に石丸氏を訪ねその旨を通じた。
 この提案に対して流石の石丸氏も驚いて、京阪にそんな莫大な金を出してもよいのかとのことであつたが、梅田乗入れが出来るならば七八百万の金を惜しむものでないと答えると、石丸氏は重ねて重役会の決議を経ているのか念を押された。
会社の重役には内々同意を得て間違いないと答えるが、石丸氏は余程心配され石丸氏の意を受けたかどうかは知らぬが別の人が訪ねられ注意を與へられたが断乎として責任を負うと云い切った。
 そして主務官庁の大体の了解を得、大正九年二月一日出願し副総裁の石丸氏の決済が終った時、鉄道院から鉄道省となり初代鐡道大臣に元田肇氏が就任された。
 自分はこのことを一日前に知り、会社の一大事と私邸に元田氏を訪ね事情を詳しく話し、副総裁の決済は得たが総裁の決済を得るに至っていない、その節は何分宜しくと申し出たが、自分と元田氏とは親類の間柄であったが中々容易に引受けず「それは困る京阪は岡崎が社長をしているそれに君は縁遠でもある。世間の思惑あるから十分に研究してからでないと何とも云えない」とのことであった。
 自分は更に「鉄道省として何ら損失がないのみならず、寧ろ利益になることだから篤と御考慮ありたい」と云って引き下がりその足で石丸氏に会見顛末を報告した。
その後石丸氏より元田氏に事情を話したので漸く納得され原総理に相談されたらしい。
かくて大正九年五月二十日認可指令が下った。

・払下条件の内容
 払下条件の内容は城東線の北区中野町信号所より同区葉村町に至る線路並に停留場敷地、軌条橋梁類全部を払下げ、京阪はこれに対し五百七十万円を負担することで同月二十四日に請書を提出、同時に淀川西岸線の起点を葉村町に変更する願書も提出した。
 この事が世間に公表されるや、大阪市の自治権を侵害したというので、大阪市會の大問題となり大阪府の知事が京阪の出願に対し市会に諮問しなかったことから非難攻撃され、次いで京阪社長に対しても非難となり、果ては帝国議会の問題ともなって世間を騒がすに至っては我々の以外とするところで、遺憾千万に思っている。
 一方城東線の改築は予定通り施工せず、工事の遅れる許りであるので淀川西岸線を別会社として新京阪を創立したが、大阪に出る道がないので当時葬儀電車と呼ばれた北大阪電鐵を買収し新京阪の工事を開始した。
 政府が城東線の改築を予定どおり施工してくれたならば、北大阪電鐵を買収せずとも済んだ。結局大阪へ出たいがために、二重の投資をした譯である。
 その後城東線の改築は変更され、現在の線路となり工事費も三百万円餘ですみ、負担は減少した。この結果として京阪は省線と隣接し競争することになるが都合上工事着手するに至らない。
それは兎も角新京阪が北大阪電鐵を買収し天神橋吹田間を造ったことは、二重の負担で最初の計画に狂いが生じた。
  と「電鐵生活三十年」に記されている。

積極経営で知られた、太田社長の関わった当時の京阪の主なプロジェクト
100年前の大正から昭和初期にかけ京阪では、大きなプロジェクトが続いた。その一部の関連する項目を整理すると、
・新京阪鐡道
 1918(大正7)年4月京阪淀川西岸線特許出願→1922年6月新京阪鐡道創立→1928年11月新京阪天神橋-西院開業→
 1931年3月京都地下線西院-大宮間開業
・京阪・新京阪梅田線(城東線廃線跡利用)
 1920(大正9)年5月城東線払下げ許可、様々な変遷の後1942年全て消滅
・蒲生-守口間高架複々線化
 1921(大正10)年8月蒲生-森小路間直線化特許→1924年12月蒲生-守口間複々線化変更許可→1928年12月高架化認可→
 1933年12月蒲生-守口間(4.2Km)高架複々線化竣工
・名古屋急行電氣鐡道
 1928(昭和3)年3月大津-名古屋間免許出願→1935年7月免許失効

 企業の命運を左右する大きなプロジェクト、花咲いたもの幻として終わったものと様々であるがある時期には幾つものプロジェクトが重なり現場は大変な思いであった事だろう。
・「新京阪」はその後阪急京都線に転身、淀川西岸で重要な位置を占め今や本家京阪の良きライバルである。
・「京阪・新京阪梅田線」は最初から大阪市の反発でつまづき、その後も続き最後まで梅田進出は実らなかった。
・淀川東岸での「蒲生-守口間高架複々線」は正に私鉄の複々線のモデルで戦前に完成していたとは驚き以外ない。
 戦前に於ける京阪の輝かしい成果と言っていいのでは。
 ただ「高架複々線」に関しては「電鐵生活三十年」には記載されていない。
   尚、「蒲生-守口間高架複々線」に関する史料は、大阪市公文書館に所蔵されている。
・「名古屋急行」は名阪間を2時間で結ぶという壮大な計画であった。結果的には「絵に書いた餅」で終わってしまった。
 しかし新京阪を語る時、「名古屋急行」は外せない。京阪社史「百年のあゆみ」でも「名古屋急行電鉄計画」として
 ほぼ1ページと別枠で「04新京阪と名古屋急行電鉄」として4ページにわたり取り上げている。

太田光熈 1925(大正14)年4月24日  社長就任
     1936(昭和11)年10月28日  会長就任
     1938(昭和13)年1月    「電鐵生活三十年」自費出版
     1939(昭和14)年9月30日  会長辞任、相談役に
     1939(昭和14)年10月14日  死去

つづく


● (タイトル欄未記入)

投稿者:671001さん  投稿日:2019/04/07(Sun) 09:08:34
No.4272  - E-mail -

『京阪・新京阪梅田線』-10 No.4270のつづき

『城東線旧線敷地利用の断念』
ここからは、主として京阪社史「百年のあゆみ」を要約して記します。

 1920年(大正9)年5月に払下げ認可を受けた城東線廃線跡は、城東線の別線高架がなかなか進まなかった。
1927(昭和2)年12月鉄道省との協定改正があり、京阪が高架式城東線を建設し竣工後に廃線跡と交換する事となった。
ようやく1928年7月に着工し1932年5月にほぼ完成となりこの時までに京阪は318万円の工事費を支出していた。
今後廃線跡を活用した「京阪城東線」の実現にはさらに1000万円余りの資金を必要とした。
 しかし1932年のこの時点で、京阪の経営は苦境に陥っており、建設には大阪市の都市計画などから諸所の条件をつけられいつ開業できるか目途の立たない状況であった。

 1932年7月5日、京阪は鉄道大臣に城東線移設工事の繰り延べもしくは工事費支払い猶予を訴えたものの、翌8月26日には「工事未成部分処理方御決定ト同時ニ、之ガ既成部分ヲ貴省ニ御引継ノコトニ致度」として、即時撤退を願い出た。
鉄道省は11月18日に、@京阪の負担は318万円を限度としね残余工事は鉄道省で施工する。A京阪の負担分は相当額の土地および建設物と交換する、などの条件を提示し12月6日に合意が成立した。

 城東線の桜ノ宮-大阪間は1933年2月16日から新線で営業を開始。一方上記の取り決めに基ずく資産処理は直ちに実行されず清算されたのは1941年12月になってからであった。
鉄道省から京阪へ引き渡す土地として大阪駅の阪急電鉄跨線橋付近の阪急デパート北側の駅設置予定地が指定された。しかしこの土地は阪急のデパートや駅に隣接する事から阪急の介入があり、譲受した土地一切は阪急に譲渡する事に。

 こうして京阪は梅田進出の足掛かりを全て失う事となった。
梅田延伸に関連して申請していた、別所町-北長柄町間、葉村町-上新庄間、天神橋六丁目-高垣町間、野江三丁目-中野町間の申請を取下げた(同年9月21日認可)

社史では上記のように記されているが、
 城東線廃線跡を利用して梅田進出を計画してから実に20年以上経過した事となる。この間にはいくつかの動きがあった。
・最初期の1920(大正9)年頃は、京阪が城東線廃線跡の利用を計画しが大阪市の反発を招き問題化した時期であった。その後城東線別線高架が進まず9年の空白期間が生ずる。

・昭和となり1928(昭和3)年に城東線高架化が現在線に変更となり再び動き出す。
前回の事もあり、京阪は事前に大阪市に対応を申し入れるが、大阪市の反応は意外な回答で京阪・新京阪梅田線の経路を否定するような別線案を提示してくる。
 京阪・新京阪はその対応に追われ、又京阪自体の経営状況の悪化もあり新京阪線の淀川鉄橋建設にかかる建設費の負担から経路変更を天神橋を拠点に考えるようになる。
京阪本線からは森小路-梅田連絡線経由を野江からに変更(昭和3年)する事で工事費を大幅に削減、見直しを図る事となる。しかし昭和5年になり計画中止を大阪府に申しいれている。

・梅田進出の最後の砦となった高垣町線も前記のごとく10年余りの空白の末、京阪の夢であった梅田進出は総て消え去る事に。

つづく


 


● 小ネタ

投稿者:通りさん  投稿日:2019/04/04(Thu) 23:13:17
No.4271


東武鉄道が東京メトロ日比谷線直通列車のごく一部みたいらしいですが
有料着席サービスを実施したいと公式サイトにて発表されておりましたよ・・・


● 京阪・新京阪梅田線-9

投稿者:671001さん  投稿日:2019/04/02(Tue) 09:37:56
No.4270  - E-mail -

『京阪・新京阪梅田線』-9 No.4268のつづき

『高垣町線』
昭和6年10月23日、京阪は大阪府を通じて鉄道大臣に新京阪の梅田乗入れについてルート変更を申請する。
 以下、要旨を記しますが大阪市と印刷されたた用紙に書かれた文書で大阪市が本文を書き写した書面と思われる。

新京阪線天神橋終端より北区高垣町に至り弊社免許線梅田支線に連絡する電気鉄道を敷設し旅客営業致したく関係図書(企業目論見書、他)を添付し申請也
 尚右免許の上は既に免許を受けている自大阪市東成区赤川町至東淀川区上新庄区間は免許取消を御願致度候
  昭和六年十月二十三日  京阪電気鉄道 取締役社長 太田光熈
鐡道大臣 原 修次郎 殿

更に「理由書」が付けられている。
 新京阪天神橋終端は大阪市の北端に位置し多年旅客集散上不便な所を以って上新庄、赤川町梅田間工事を以って省線大阪駅に連絡する計画であった處上新庄、赤川町間には淀川架橋架設を要する等種々困難なる事情を以って天神橋終端を延長し梅田に至る高架式鉄道を敷設する時は距離に於いても最短となり工費も最小額となり別紙の通り出願次第に有之候

出願添付図面として「線路豫測平面図」が付けられている。以下に申請ルートを現在の地図にもとずき辿ります。
 天神橋駅を南に高架で都島通りを越え天神橋筋商店街に沿い南西へ、地下鉄堺筋線天神橋筋六丁目駅南端付近で天神橋筋を越え南西へ中崎町1丁目付近でJR大阪環状線を越え西方へ進み、地下鉄中崎町駅南端で都島通り越え環状線と並行し新御堂筋との交差部が高垣町となる。天神橋から1.22Km、さらに梅田へ進んだものと思われる。

 上記「理由書」の通り、永年の課題であった淀川架橋建設に掛かる費用等から城北を経由するルートを諦め、天神橋から梅田へのルート変更へと大きく舵をきった事になる。

この京阪の申請に対し、昭和七年二月十二日大阪府土木部長から大阪市長に対し意見照会を求めている。

大阪市長の回答
昭和七年六月 日  大阪市長より大阪府土木部長に回答。 要旨を記します。
京阪の鉄道敷設は左記により御処理下されば異存なし此段回答也
 追て道路、橋梁、水面、溝梁等の占有並工事の施工に関しては施工許可申請前に管理者の許可を受けるよう念のため申添候
一 申請に係る路線の位置は人家密集区域に属し既存街路の体系を壊すこと甚しく別紙図面の通り市道梅田養源寺線の
  位置に変更すること
ニ 前項道路は会社の費用を以って幅員二十七米以上に構築すること
三 線路の構造は閉床架橋式高架構造とし其桁下高は路面上四米六以上を保つこと
四 高架下線路は道路に供用し効用するため橋脚数を可及的少なくすること
五 高架下線路の下部には適当照明施設を設けること
六 京阪が免許を受けたる上新庄より赤川を経て高垣町に至る間の線路施設権は之を破棄すること
七 申請線路の開設により本市経営に係る軌道及び乗合自動車事業の被る影響甚大なるを以って会社は相当の損出保障
  を為すこと
八 路線建設のため一切の工事の設計及び方法は所轄官庁の認可、許可を受ける前に大阪市長の承認を受けること
九 工事のため現存の道路、軌道、河川、上下水道等の移転、改築又は臨時位置の変更を必要とする時は総て会社の
  費用で行うのは勿論之が為に交通、給排水を妨げない施設をすること
十 工事の免許の日より三年以内に竣工すること若し事由により期間延長を申請するときは大阪市と協議すること

 大阪市は上記内容で大阪府に回答、大阪府から京阪に伝達されたと思われるが京阪の高垣町線計画は根底から覆す内容となっている。
大阪市の意向に沿うには、
 ・市道梅田養源寺線(都島通り)にルート変更を要求されており同道には既に市電が走っている。
 ・更にルート変更では、新京阪線から都島通りへの進入は急曲線で天神橋駅が使えなくなり別に駅を設けなければならない。
 ・高架化に対しての対応、道路幅員の拡幅等工事費の増大。
 ・大阪市の交通事業に対する補償問題。

 計画実行には相当の覚悟が必要となり、この後長きにわたり全く進展せず昭和17年10月6日に免許申請取下げを願い出た。その間の経緯については史料もなく京阪社史にも記載がない。考えられるのは大阪市の意向に応える困難さと京阪自体の経営不振、さらに当時の社会情勢が大きく影響したのではないか。

つづく


● バスネタで恐縮ですが・・・

投稿者:通りさん  投稿日:2019/04/02(Tue) 00:10:36
No.4269


JR静岡駅と東京駅間とを結ぶ高速路線バスでは
ちびまる子ちゃんのイラストラッピングバスが運行されている車両を
目撃できました(会社名は失念で申し訳ない・・・)


● 京阪・新京阪梅田線-8

投稿者:671001さん  投稿日:2019/04/01(Mon) 09:57:03
No.4268  - E-mail -

『京阪・新京阪梅田線』-8 No.4264のつづき

『新京阪天神橋駅』
 京阪・新京阪が梅田を目指した事については先に記した通りだが、梅田を目指すルートは2ルートあったのではと考える。
1つ目は、京阪・新京阪が城東線廃線跡を利用してのルート。
2つ目は、新京阪天神橋駅から梅田を目指すルートである。 そこで天神橋駅から梅田を目指したルートを整理すると、
・1917(大正7)年7月、京阪森小路より毛馬間の京阪城北線と1918(大正8)年12月毛馬より川崎町への延長線。
 川崎町は天六付近であり、さらにここから梅田を目指したと思われるが史料の確認は取れていない。
・1928(昭和3)年1月、大阪市からの要請で天神橋駅より省線天満駅を経て計画中の京阪梅田線へ繋ぐルート。
・1928(昭和3)年3月、天神橋駅より天神橋筋五丁目を経て葉村町に至る延長線。
・1931(昭和6)年1月、天神橋駅より高垣町を経て梅田を目指すルート。・・・高垣町線、次項で記す。
 新京阪天神橋駅から、様々なルートで梅田を目指したがいずれも未完におわるが改めて「新京阪天神橋駅」を見てみたい。

「天神橋駅平面図」・・・市会議案付属図写
 天神橋駅が開業したのは1925(大正14)年12月、その天神橋駅の手書き平面図が残されている。市会議案付属図写と書かれている事から市議会で使用された図面と思われる。図面を見ると駅北側が西成郡豊崎町となつており市郡界の線が引かれ駅中央から南側は大阪市である事が分かる。駅は頭端式5ホーム5線となっており、駅前南西交差点には東西の都島通りと南北の天神橋筋に市電が走る。南北に走る市電は天神橋駅西口広場が終点で広場へ乗入れはループ線となつており、交差点北西角には阪神北大阪線も書かれている。
 この平面図がいつ作成され、市会でどの様に使われたかは不明であるが天神橋駅のごく初期の駅の様子が見て取れる。

 「天神橋駅」をもう少し見ていこう。阪急電鉄が昭和56年4月に発行した「阪急電車駅めぐり 空から見た街と駅 京都線の巻」に「天神橋筋六丁目」が紹介されている。昭和44年12月に地下鉄堺筋線と繋がった事から駅の名前は変わったが、それまでの「天神橋」駅について詳しく記されているので要旨を紹介します。
 天神橋-淡路間が開通したのは、大正14年10月。駅ターミナルビルは8ヶ月後に完成。建設費は125万円を要した。駅ビルは7階建てで電車ホームを内蔵するピルは日本最初のものであつた。ビル一階は出改札口、案内所、洋食堂、小売店が軒を並べ、二階がホーム、三〜四階は新京阪マーケット四階北東には和食堂があり五〜六階は本社事務所、七階は新京阪会館と北大阪倶楽部があつた。春、秋のシーズンには嵐山行直通列車を走らせたが大変な混雑であった。このビルは豪華な事と頑丈さを持ち合わせ、将来国鉄天満駅を経て南へ延長する場合に供え南側にアーチ型開口部が設けられた。(中略)昭和34年に本線から支線に変わり新京阪の本拠地の面影はうすれた。
 その後「天神橋筋六丁目」駅として生まれ変わりターミナルビルも一般ビルに改造された。と、記されている。

その「駅ビル」も時代と共に変わっている。
 1969年3月31日、大阪市電最後の日に写した写真の駅ビルは、ビルの特徴でもあった3連のアーチ型開口部はなくなっておりその部分の壁面に「京都・嵐山・新千里山・神戸・宝塚ゆき」の表示が、さらに1階入口上部に「阪急電車・天神橋駅」と表示されている。駅前には市電の他にトロリーバスも走り、交差点西北角には阪神北大阪線も走り周りの建物も雑多で交通量も多く庶民の町の感じであった。
 天神橋駅は地下鉄乗入れ工事のため、駅への乗り入れは上下線高架の1線のみであった。そして間もなく12月6日に地下駅「天神橋筋六丁目」駅として生まれ変わった。

 2001年4月16日、30数年振りに天神橋筋六丁目を訪れた。天六交差点に立つと市電は勿論の事、トロリーバスも阪神北大阪線もなく東西南北に地下鉄が、交通体系が大幅に変わっている。かってあつた天神橋駅ビルは建替えられた分けではないがビル正面が全面改装されごく普通のビルに変り1階上部に「天六阪急ビル」の表示がある。驚くのは7階建てビルであったのが8階建てに変化している事である。多分2階部分のホームがあつた所にもう1階作ったのではと思われる。ビルの裏側へ廻ると駅敷設があった場所にホーム跡が残っており新京阪建設時の遺構がこの時点まで残っていたのである。

現在の「天神橋駅」周辺を歩いて見分
 2018年9月9日、17年振りに天神橋駅周辺を歩いて見分する。
天六交差点に立つと、周辺の景色は大きく変わっている。東北に建っていた新京阪のターミナルビルは4〜5階建ての阪急系スーパ「阪急OASIS」に建て替わり、駅ホームがあった辺りは超高層マンションとなつておりどこを探しても旧駅の姿は見つからない。
 その阪急OASISだが都島通り正面をよく見ると、なんと3階部分の窓枠上部がアーチ型にデザインされている。しかも3窓あり旧駅建造時のアーチ型開口部を意識されたのかはわからないが、建屋全体の雰囲気は良くデザインされていると感じる。
 天六周辺は、以前は梅田とは違った感じがしたが、今回は梅田が広がってむきたとも感じた。

「新京阪天神橋駅ビル」
 新京阪鐡道の象徴とも言える「天神橋駅ビル」、ビルの特徴でもあったアーチ型開口部は何度となく開口する計画があり、戦後も計画されたが遂に開口は叶わなかった。電車が走らなくなりビルも改装されやがて建替えられ今や忘れられた存在となつてしまった。新しくなつたビルの正面窓枠がアーチ型にデザインされている事から建設時の写真と共に連想するのは私だけか。

つづく




● ついにきょう・・・

投稿者:上新庄さん  投稿日:2019/03/31(Sun) 23:04:07
No.4267

JR石勝線の夕張支線(新夕張〜夕張間)がきょう、3月31日をもって廃止となりました。
かつては石炭輸送をメインにたくさんの利用者がありましたが石炭輸送の廃止や過疎化などで利用者が減少し、収支の好転が見込めないことから廃止となりました。
赤字路線は全国にたくさんありますがJR北海道は特に深刻で廃線の目処がついた路線や廃線を検討してる路線が他の地域よりもたくさんあります。
今後も廃線が出てきそうですがこれも時代の流れでしょうか・・・
127年間の歴史が今、幕を下ろしました。


● 相鉄と東急の乗り入れの目処もたちそう!

投稿者:上新庄さん  投稿日:2019/03/31(Sun) 19:35:24
No.4266

東急は目黒線用に3020系を3編成導入します。
これは相鉄・東急直通線で目黒線が乗り入れの対象であることからそれに備えるものです。
車体や仕様はは2020系や6020系と同じです。
また2022年度から既存の3000系を含めて8連化も行います。
すでに都営三田線も8連化をおこなうと発表したほか、東京メトロや埼玉高速鉄道も8連化対応の工事を行うと発表しており、これからが完了すると目黒線・南北線・埼玉高速鉄道線・都営三田線が8連となり相鉄に対応できるようになります。

ただ相鉄に乗り入れを発表してるのは目黒線と都営三田線だけですが南北線や埼玉高速鉄道も相鉄乗り入れの可能性が出てきました。

果たして相鉄は目黒線に乗り入れなのか、東横線に乗り入れなのか、はたまた両方なのか興味深いところです。


● もっと早くしてほしかった!

投稿者:上新庄さん  投稿日:2019/03/31(Sun) 19:26:44
No.4265

山陽電車は大塩駅の橋上化をおこなうと発表しました。

2021年3月を目標に駅舎を橋上化してエレベーターやエスカレーターの設置や歩道橋やロータリーの整備、そして梅田行きホームを延伸して長年の懸案だったドアカットを廃止するほか、構内踏み切りもなくします。

ついに大塩駅が生まれ変わります!
なんといってもドアカットの廃止。
直通特急のスタートから今年で21年。
ようやく抜本的な解消の目処がつきました。

新しくなる大塩駅に期待しましょう!


● 京阪・新京阪梅田線-7

投稿者:671001さん  投稿日:2019/03/31(Sun) 09:20:53
No.4264  - E-mail -

『京阪・新京阪梅田線』-7 No.4256のつづき

「この時代の大阪市」
大正末期から昭和初期にかけて大阪市は市域拡大を目指す事に。
以下に、『大大阪市』と『大阪市都市計劃總攬』について記します。

『大大阪市』
 大大阪市については『新京阪鐡道』-2で一部触れたが、今回の「京阪・新京阪梅田線」計画において東成郡が大阪市東成区に編入された事が大きく影響してくる。
 今尾恵介 「地図と鉄道省文書で読む 私鉄の歩み 関西1 阪神・阪急・京阪」
に、「大大阪市」が詳しく記されているので要旨を紹介します。

第二次市域拡大で誕生した「大大阪市」 
 第一次世界大戦を契機に工業化が進んだ日本は、大都市近郷の人口増加で大阪の郊外でも急激な人口増加に見舞われた。大正12年に就任した関一(せきはじめ)市長のもとで14年4月第二次市域拡張として西成郡、東成郡の全域を編入した。
旧市域[概ね現在の環状線の内側より西方]は4区から8区に再編成。
西成郡は西淀川区、東成区、西成区、東成郡は東成区、住吉区となり、市域面積が約3倍、人口は1.5倍となつた。
 大正14年の人口は大阪市2115千人、東京市1996千人と東京市を抜き「日本一の大都市」となる。東京市が再度トップに返り咲くのは昭和7年。
とあり、「京阪・新京阪梅田線」の計画地区は都市計画が進み高速鉄道計画、市電の敷設と大きく変化し京阪は難しい対応を迫られる事となる。

『大阪市都市計畫總攬』
昭和3年1月6日「京阪・新京阪の大阪市への説明」の中で添付された地図
 昭和初期に策定された大阪市の都市計画を現した計画図で、大阪市都市協會編纂、大阪和楽路屋發兌で大きさは120X90cm位で、縮尺ニ万分ノ一附録別冊四六伴七十頁添付ス、とある。
地図は市内を住居・商業・工業地域別に色分けされ、高速鉄道・都市計画路線(道路)が市内を縦横に計画されている。そして京阪・新京阪梅田線が描かれている。

この地図における「京阪・新京阪梅田線」
 地図には手書きで「京阪・新京阪梅田線」が描かれており、先の5で記したようにA〜Eまでの記号が付けられ、工事中の蒲生-守口間の複々線も記入され途中の森小路にAが付いている事から新線経由である事が分かる。さらにこの図にも城北京都線と京阪城北線さらに城東貨物線の3線が交差する事がはっきりと描かれている。そして梅田支線連絡線B-C間も。
 鐡道の3線立体交差が他にあったかどうか分からないが、現在阪急淡路駅の高架化が進んでおり、おおさか東線との交差部は3線高架で巨大な構造物が目につくようになつてきた。 100年近く前にここに出現していたら・・・。

「高速鐡道」
鉄道計画では高速鐡道(現在の大阪メトロ)として地下線は青白の縞模様、高架線は青実線で描かれている。
1925(大正14)年10月高速鐡道計画を策定、翌年3月27日に計画決定された。
計画路線は。
・1号線(御堂筋線)20.0Kmは、豊能郡豊津村榎坂-大阪駅-南海難波駅-天王寺駅-住吉区我孫子町で、
 榎坂-淀川南間と天王寺-我孫子間は高架で計画。
・2号線(谷町線)13.7Kmは、東成区森小路-天神橋六丁目-中津-大阪駅-天神橋-松屋町筋-天王寺で
 谷町筋は通らなかった。森小路-天神橋筋六丁目東迄は高架で計画。
・3号線(四つ橋線)3.7Kmは、浪速区大黒町-西成区玉手町間で大黒町では1号線との直通も考えた配線
 となっている。3号線途中から玉手駅まで高架で計画。
・4号線(中央線)17.1Kmは、港区築港-西区伯楽橋-東成区大今里-平野駅-住吉区平野間で全線高架で計画。

2号線が走る、森小路-天六近くはそれ迄東成郡城北村であったが東成区に編入された直後に高速鐵道が計画された事となる。
 その2号線を大阪駅から東へ辿ると、大阪駅は1号線梅田駅に併設されここから北方へ中津付近で阪神北大阪線の地下を天六へと走る。ここまでは現在の谷町線と違ったルートで計画された事となる。
天六からは現在のルートとなるが大川の手前から高架となり東へ関目高殿付近で終わっている。
 2号線(谷町線)が開通したのは戦後になつてずっと後の事だが、計画されたのは昭和初期で丁度京阪・新京阪梅田線計画と同時期であり同じ地域に梅田を目指す計画が重複した事になる。

つづく




● ラストラン

投稿者:通りさん  投稿日:2019/03/31(Sun) 00:28:34
No.4263


長崎で旧型路面電車が引退 大正・昭和に製造の3両

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00000095-kyodonews-soci.view-000


● 関空快速223系 他

投稿者:SR快速さん  投稿日:2019/03/30(Sat) 21:40:14
No.4262

こんばんは。
関空快速223系0番台リノベーション(体質改善)車ですが、すでに4本目が登場しました。0(100)番台主体の編成は16本ありますのでそう遠くないうちに終わってしまうことでしょう。
その223系0番台にて、関空特快ウイングやJR難波始発の関空快速に指定席が設定されたのはご承知の通りですが、座席が他の自由席車両と変わらないこと、阪和線の混雑にかえって拍車をかけたことから長続きはしませんでした。いまなら特急はるか号を利用して欲しいのが本音でしょう。

ところで先日SNSにて阪急のイベントで一部ファンが愚行を働いたという話を聞きました。事実なら他の鉄道ファンの印象を悪くすることとなり腹立たしい限りです。
先日終了した菅田将暉さん主演のドラマ「3年A組」私や娘がかなり見入ってましたが、菅田さん演じる「ブッキー」先生にこのようなファンを「壁ドン」してもらおうかと真剣に思った次第です。


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