"新京阪" 掲示板

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● 京阪淀川西岸線-6

投稿者:671001さん  投稿日:2018/04/21(Sat) 09:18:00
No.4103  - E-mail -

『淀川西岸線』-6  No.4101のつづき

「ルートの表示」
 淀川西岸線の当初計画からのルートを現在の地図上に描いてみないと何処をどの様に走ったのか分からない。
史料の路線平面図、縦断面図は青焼きでその上に赤や白色でルートが描かれている。作成されたのが100年前、当時の最新技術でもって作成された事だろうが史料全体は100年を経過している。
 さらにこの100年でその変化は凄まじく、特に京阪間は都市化が進んだ事から別の地図といってもいい。小さな村や町は地名も変わり都市になり、淀川や淀川に流れ込む中小河川も都市化で改修が進み流れが変わっている。
狭い細道しか通っていなかった村内も今や幹線道路、高速道路が走り、大工場が進出、区画整理で建屋が密集している。従って100年前のルートを現在の地図上に描き表すのは容易でない。新旧地図を見比べ僅かな痕跡から決めざるを得ない。
さらには、年代を変え昭和初期の地図とも見比べその変化を読み取る事も。
 唯一、地図上で変わらないものがあった。
それは東海道線である。厳密にいえば東海道線も変化しているが少なくとも京都-吹田間はこの100年変わっていない。
幸い、ルート変更で別線となった淀川西岸線は東海道線と並行する形でルート付けされているので分かり易い。
又、原図は全て哩表示であるがここではメートル表示としています。
以上のような事からルート表示については、〇〇付近とか、辺りという表現となってしまう。ご理解頂きたい。

『参考文献、他』
・鉄道図書刊行会 鉄道ピクトリアル 各号 個人所有
・京都府庁文書 大 7 85 自大正七年至大正十一年 京阪電氣鐡道淀川兩岸線免許竝権利義務譲渡ニ関スル一件
・京都府庁文書 大 13 67 大正十三年 軌道
        以上2冊 京都府立京都学・歴彩館所蔵 閲覧申請必要
・鉄道は夢をつなぐ 大山崎歴史資料館 平成19年10月20日発行 京都府立京都学・歴彩館所蔵 閲覧自由
・京阪電鉄 社史「京阪百年のあゆみ」 2011年3月24日発行 京都府立京都学・歴彩館所蔵 閲覧自由
・太田光熈 「電鐵生活三十年」 1938年 京都府立図書館本館所蔵
・PRESSE EISENBAHN レイル No.43 阪急京都線特急史 2002年10月発行 個人所有
・JTBキャンブックス 鉄道未成線を歩く 私鉄編 森口誠之 2001年9月発行 個人所有
・地図と鉄道省文書で読む私鉄の歩み 関西1 阪神・阪急・京阪 今尾恵介 2017年3月30日 個人所有
・ロードマップはMapionキョリ測を利用
・地理院地図(電子国土Web)
・国際日本文化研究センター 日文研データーベースの所蔵地図から
・京阪電気鉄道工事ニ関スル綴 昭和2年度〜昭和5年度編集
・私鉄特許関係書類(京阪其の1) 大正10年〜昭和17年編集
      以上2冊、大阪市公文書館所蔵 閲覧申請必要

『最後に』
 この時代の京阪電鉄に関わる様々な動きは、第四代社長であった太田光熈(みつひろ)さんが自伝「電鐵生活三十年」に記されている。一部は『名古屋急行電氣鐡道』で紹介したが、京阪淀川西岸線、新京阪に関わる部分について項目のみ記します。
全部で35項目の内、13.淀川西岸線の特許、14.城東線払下問題、19.北大阪電鐵と京阪土地、22.新京阪の創立と其工事、26.名古屋急行電鐵問題、32.京阪新京阪の合併 等で、その時代のトップとしてそれぞれの経緯から政治絡みの裏話的な面まで記されている。

本文最後の方には「過ぎ來し半生」として思いがつづられている。要旨を紹介します。
・自分は三十年来京阪電鐵を中心として、電鐵並に電力事業に関係し記憶の浮かぶ儘に描き列ねたが、今更乍ら振り返って見ると實に感慨無量である。
・自分は世間の一部からも、同業者からも餘りに手を拡げ過ぎたとの非難を受けたが、この非難はある程度まで甘受せねばならぬと思っている。
・唯自分は事業を行う信念から、京阪間の交通機関は省線を除き京阪電鐵をしてその枢軸たせしめ、他をして一歩も踏み入れしめない方針を執って來た。
・自分が他の電鐵、電力に関係するに至ったのも京阪のためを図るという一点にあったので、京阪と運命をともにした半生であった。
・京阪に入って三十年ともに生活して來た自分と鉄道と余程宿世の因縁があるやうに思ふ。過去を追想すれば先輩同僚さては京阪創立前後の先輩は大部分黄泉の客となられて、共に語るべくもない。往事茫々夢の如し。今昔の感に堪へぬものがある。
と、結んでいる。
 太田光熈さんの没後、手掛け育て上げた新京阪鐡道は思わぬ方向へと進んで行く。国策とはいえ阪急と合併、やがて手元から離れる事に。 太田光熈さんはどの様な評価を下した事か。

太田光熈さんについては、
鉄道ピクトリアル 2000年12月臨時増刊号 No.695 【特集】京阪電気鉄道
京阪特集 京阪グループの系譜 -戦前期の太田光熈社長の関連事業を中心に-
として、小川功さんが13ページにわたって詳細に記されている。

長文、失礼いたしました。 誤字、脱字、思い違い等、色々有ろうかと思いますがご容赦下さい。
































● (タイトル欄未記入)

投稿者:F-5さん  投稿日:2018/04/20(Fri) 20:25:22
No.4102

To 須磨浦公園 様
はじめましてF-5と申します。
4100でご質問の件、ご指摘の支線は西吹田から分岐し、府道14号線を春日まで北上し、国道171号線沿いに高槻へ至るルートになります。終点を「高槻」していますが、厳密には省線高槻駅の北側に終点としているので、本線との接続目的ではないようです。ただ認可されますと省線を東西で両サイドから挟む形になりますので、省線側としてもかなり難色を示したようです。
こちら吹田市史に詳しく載っておりますので、図書館等でご覧になればと思います。内容も残存している史料の内容をほぼまんまで書かれてます。何かした意図があったのかもしれませんが、会社からの申請書から目的探るのはなかなか難しいといったところです。
ご回答になっているかどうかわかりませんが取り急ぎご連絡までに。


● 京阪淀川西岸線-5

投稿者:671001さん  投稿日:2018/04/20(Fri) 09:50:13
No.4101  - E-mail -

『淀川西岸線』-5  No.4099のつづき

「淀川西岸線」の変遷
1.当初計画  1918(大正7)年4月16日 「野江淀間支線敷設特許申請書」
 京阪本線野江分岐-城北村-淀川-西成郡豊里村-吹田町-三島村-五領村-京都府/大山崎村-桂川-納所村-京阪本線合流

2.支線延長  1918(大正7)年12月27日 「支線延長敷設特許申請書」
 京都府乙訓郡大山崎村-新神足村-向日町-久世村-川岡村-京極村-京都市下京区四条大宮

3.ルート変更 1919(大正8)年5月1日  「野江淀間支線敷設特許申請願書訂正御願」
 京阪本線野江分岐-城北村-淀川-吹田-茨木町-高槻町-大山崎村-桂川-納所村-京阪本線合流
 当初計画のルートの内、淀川から上牧付近まで新ルート(現在の阪急京都線)に変更となった。

4.起点変更命令 1919(大正8)年7月21日 淀川西岸線の敷設特許状が下付されたが条件がつく。
 京阪間混雑緩和のためには、大阪側の起点を天満橋以外に設けよとの主旨。

5.一部短縮   1919(大正8)年9月10日 「京阪電気鉄道野江淀間線路一部短縮ノ件」
 当初計画の大山崎村-桂川-納所村-京阪本線合流間短縮。この区間消滅。
 
6.一部変更   1919(大正8)年12月26日 「特許支線一部変更認可申請書」
 特許状の条件に合わすためか、野江から城北村を経て淀川を渡り、西成郡中島村間を廃止し、
 新たに、中島村から淀川を渡り、毛馬で別の計画線に繋ぎ川崎町(天六)を目指す事に。
 
7.城東線活用  1920(大正9)年5月20日 
 城東線の払い下げを受け、葉村町-櫻之宮-城北村-吹田から京都を目指す事に。

8.軌道を鉄道に変更 1921(大正10)年11月14日申請 1922(大正11)年4月24日許可
 理由書 該当区間は全部新設軌道にて設計のため

9.新京阪鐡道の創立 1922(大正11)年12月30日会社登記完了
 京阪から城北-四条大宮間の譲渡、鉄道大臣認可。新京阪では「城北京都線」に。

「京阪の大阪市内への延伸計画」
当時、京阪はさまざまなルートで大阪市内への延伸計画を立てていた。  一部、京阪社史「京阪百年のあゆみ」より
@淀川支線、A森小路・澤上江町線、B城北支線(森小路-毛馬)、C城北支線延長線(毛馬-川崎町)、D吹田・毛馬線、E梅田支線(吹田-大阪)
 京阪本線から大阪市内を目指すには、いずれも東成郡城北村を通過する事となる。東成郡は大阪市に隣接しており市勢拡大を目指す大阪市は1925(大正14)年4月1日に東成区に編入する。そのご旭区、都島区となるが。
京阪の大阪市内延伸計画はさまざまな点で大阪市と折衝を重ねねばならず、計画も二転三転複雑化し、追い打ちを掛けるように京阪本体の経営状況も悪化、これらの計画は全て未完に終わる事となる。
 さまざまな計画の中で、唯一淀川西岸線が形を変え実現した事になる。

つづく。


 




 


● (タイトル欄未記入)

投稿者:須磨浦公園さん  投稿日:2018/04/19(Thu) 20:22:31
No.4100

いつも楽しく拝見させていただいております。
新京阪について、投稿を拝見させていただいて、一つ疑問な点があります。

1925年(大正14年)6月15日 新京阪鉄道、西吹田から高槻に至る第二の支線計画を申請

という記述が、Wikipediaにあります。
この時期といえば、まだ新京阪の本線も完成していないころなのに、再度新たな路線の申請を出すことは疑問に思います。

こちらについて、ご存知の方、おられますでしょうか?

よろしくお願いします。


● 京阪淀川西岸線-4

投稿者:671001さん  投稿日:2018/04/19(Thu) 09:12:52
No.4099  - E-mail -

『淀川西岸線』-4  No.4098のつづき

『淀川西岸線最終路線』-2
ここからは、1918(大正7)年12月27日に特許を受けたルートとなる。
先に、『新京阪鐡道』の「城北京都線」で「別ルート」ととして京都まで紹介したがここからはその「別ルート」を走る事となる。

・大山崎停車(30.2Km) 京都府乙訓郡大山崎村/京都府乙訓郡大山崎町内、阪急大山崎駅北方1Km位。
大山崎停車場は現在の大山崎駅ではない。東海道線をくぐらず北上し西側を南北に走る西国街道沿いに駅が計画されている。従って東海道線山崎駅とは離れている。
大山崎を出ると名神高速大山崎JCT・ICの西側をかすめ長岡京市に入りサントリービール京都工場付近で東海道線を高架(径間30.6m)で越え北上し長岡停車場となる。

・長岡停車場(32.8Km) 京都府乙訓郡新神足村/長岡京市、JR長岡京駅と阪急長岡天神駅の中間辺り神足小学校付近。
長岡停車場も周辺には小さな集落が点在するのみである。長岡天神駅とは500m程離れている。
長岡を出ると長岡京市市役所東側を北上し現在線の西側へ。この辺りから丘陵部となり1/66の上り勾配で向日市に入り直ぐに西向日町停車場となる。

・西向日町停車場(35.3Km) 京都府乙訓郡向日町/向日市、向日神社近く
西向日町停車場は向日神社に近く、東側に西国街道が通っており阪急西向日駅とは400m程離れている。
西向日を出ると向日神社前から1/60の下り勾配となり向日町競輪場をかすめ北上し、洛西口駅付近で京都市に入り現行線の東側へ、陸上自衛隊桂駐屯地を横切り桂停車場となる。 向日神社辺りが京阪間で一番標高の高い所で42mとなっている。

・桂停車場(38.8Km) 京都府葛野郡川岡村/京都市西京区、桂小学校付近
桂停車場は阪急桂駅とは800mほど東南に位置する。 洛西線(嵐山線)はまだ計画されていない。
桂を出ると、すぐにR805の右曲線で北東へ桂大橋の下流で桂川を渡りR1408の左曲線で山陰街道(七條通)となり交差部で西七條停車場となる。

西七條停車場(41.2Km) 京都府葛野郡京極村/京都市右京区、七條通西小路付近
西七條停車場は山陰街道交差部に計画され、ここも周辺に人家は見当たらない。阪急西京極駅とは800m程離れている。
西七條を出て北東へ西大路五条付近を通り仏光寺通御前辺りでR1107の右曲線で嵐電の南側を東へ、この辺りから高架で山陰線を越え終着の四条大宮停車場となる。 山陰線西側は小さな集落が点在するのみだが東側は建屋が密集している。
桂を出て桂川を渡り四条大宮まで、縦断面図で見ると桂川から先は城北京都線では全区間高架であったが、本線ではほとんどが地上に計画されている。さすがに山陰線は高架(高さ5.5m)で越える事になるので1/80の上り勾配となっている。

・四条大宮停車場(43.9Km) 京都市下京区同じ
山陰線を越えてからも高架のまま進み、四条大宮停車場となるが縦断面図で見ると地上よりの高さが3.4mもあり高架駅として計画されたとも思われる。

大阪側の起点、北区葉村町から櫻之宮-城北を経て終着京都四条大宮となった事から「淀川西岸線」も最終決着したと判断出来る。
そしてこのルートが新京阪鐡道設立を経て新京阪では「城北京都線」となる。
たたし、新京阪の「城北京都線」における大山崎-四条大宮間は別ルートで上記ルートでない。

「城北京都線」が東海道線を高架で越えず大山崎で東海道線をくぐる事になった事について、下記の一文がある。
大山崎町歴史資料館が平成一九年一〇月二〇日発行の、「鉄道は夢つなぐ -乙訓・京都と鉄道建設-」の中に記載されている「新京阪」の時代には、
 新京阪建設のなかで、大山崎周辺は特に難工事だつた。それは新規の新京阪が既成の国有鉄道線路を潜るという敷設であったためである。やはり国有鉄道を跨ぐことを憚ったことが理由とされているが、・・・以下略
この事が理由で大山崎-四条大宮間のルートが変更されたとあれば興味深い事である。

つづく。












 















● 京阪淀川西岸線-3

投稿者:671001さん  投稿日:2018/04/18(Wed) 09:56:44
No.4098  - E-mail -

『淀川西岸線』-3  No.4097のつづき

『淀川西岸線最終路線』-1
大正から昭和にかけて、京阪間の淀川西岸に関わる鉄道計画はさまざまな動きがあった。
東岸を走る京阪はその動きから防衛上と将来の発展を見込み西岸に鉄道計画を推進した。
当初の野江-淀間の本線のバイパス路線から、次第に姿を変え大阪側の起点を梅田に求めるよう種々計画した。
しかし事は思うように運ばず、変更を繰り返す事となる。
ここで取り上げる大阪市北区葉村町-京都市下京区四条大宮間の一部区間は、新京阪鐡道を経て現在阪急京都線として運用されている。
又、新京阪鐡道が設立され上記区間の大部分が京阪から譲渡された事もあり、ここで京阪の淀川西岸線の最終路線としたい。

以下に基ずき「淀川西岸線最終路線」をたどる。
1921(大正10)年11月14日 「軌道ヲ地方鐡道ニ変更申請書」 1922(大正11)年4月24日許可
電気軌道で許可を受けていた北区葉村町-下京区四条大宮間を地方鐡道に変更申請を出している。
理由として、該当軌道は全部新設軌道として敷設する設計で、道路り補助機関として性質は有さない従って地方鐡道として経営するのが最も適当としている。
提出書類の中に、路線予測平面図、予測縦断面図、運輸数量表等が含まれているので下記により京阪間のルートを現在の国土地理院地図と見比べ乍ら明らかにしたい。

・停車場名(起点からのKm) 計画当時の所在地名/現在の所在地、他

・葉村町停車場(起点) 大阪市北区本庄葉村町/大阪市北区、地下鉄谷町線中崎町駅付近
起点の葉村町停車場は梅田と700m程東に位置している。梅田と離れた位置に計画されたのは、大阪市に於ける大阪駅周辺の都市計画事業と高速鉄道(地下鉄)敷設計画との整合が出来ていなかったためと推測する。
その後、葉村町から北区角田(梅田)町に延長する申請を行い、1928(昭和3)年8月7日に免許されている。
葉村町を出ると城東線に沿って櫻之宮停車場へ。

・櫻之宮停車場(1.6Km) 大阪市都島区/大阪市都島区、環状線桜ノ宮駅同じ
櫻之宮を出ると直ぐに城東線と別れR402の左曲線で北上し城北村に入り城北停止場となる。
1920(大正9)年5月20日出願時には、櫻之宮を出るとしばらく城東線と並行していたが今回の地方鐡道への変更申請では上記のようにルートが変更されている。

・城北停車場(4.0Km) 大阪府東成郡城北村/大阪市都島区高倉町付近
城北停車場となる城北村は、計画当時つまり100年前には駅周辺には集落もなく小道が1本通るだけの空白地であったようでなぜこの地に駅が必要なのか理解出来ない場所であった。 ただ、京阪本線の森小路から城北線として梅田を目指す計画があり、その際には連絡線を設け、城北停止場は接続駅となる事から駅を計画したのか。
城北を出ると淀川を渡り、上新庄から東吹田停車場となる。
城北からは、先の『新京阪鐡道』で取り上げた「城北京都線」と同じルートを大山崎まで辿る事となる。

・東吹田停車場(8.4Km) 大阪府西成郡大道村/大阪市東淀川区、阪急京都線相川駅に同じ
東吹田と名乗るが吹田町の集落は安威川を渡った西側に広がっている。
東吹田を出ると、正雀は駅もなく現在の摂津市駅の先600m程の位置に三宅停車場となる。

・三宅停車場(13.1Km) 大阪府三島郡三宅村/摂津市と茨木市との市境辺りで摂津市駅より600m京都寄り
三宅停車場は東海道線千里丘駅とも近いが千里丘駅はまだ開業していない。三宅を出ると次は茨木南口停車場となる。

・茨木南口停車場(15.3Km)   大阪府三島郡茨木町/茨木市、茨木川近く阪急茨木市駅より南800m
当時の茨木市の中心部は東海道線茨木駅北東部であったようで、茨木南口は町中心部より少し離れた場所に計画された。

・富田停車場(18.1Km) 大阪府三島郡阿武野村/高槻市、阪急富田駅に同じ
富田停車場はR1610の曲線上にある。小さな集落は東側に、東海道線摂津富田駅はまだ開業していない。

西高槻停車場(21.1Km) 大阪府三島郡高槻町/高槻市、市役所近く、阪急高槻市駅より900m程大阪寄り
西高槻停車場も町中心部より離れた位置に計画されている。西高槻を出ると次は萩ノ庄停車場となる。

・萩ノ庄停車場(24.0Km) 大阪府島本郡五領村/高槻市萩ノ庄、阪急高槻市駅より2Km京都寄り
萩ノ庄停車場周辺にはごくちいさな集落があるのみである。
萩ノ庄を出ると本線は東海道線と最も接近する。東海道線は摂津山系に迫られ、本線の東側は多数の池や沼があり接近せざるを得ない。東海道線は山側に振れるが、本線はR1207の左曲線で北上し水無瀬神宮の東側を通り水無瀬停車場へ。

・水無瀬停車場(28.5Km) 大阪府三島郡島本村/三島郡島本町水無瀬川付近、阪急大山崎駅より600m程大阪寄り。
水無瀬停車場は現在の水無瀬駅ではない、水無瀬川付近に計画され大山崎駅に近い。
水無瀬を出て大山崎を過ぎると現在の京都線は東海道線をくぐるが、本線はくぐらず北上し間もなく大山崎停車場となる。
つまり、水無瀬付近からは現行線とは別ルートとなる。

つづく。 






































● 京阪淀川西岸線-2

投稿者:671001さん  投稿日:2018/04/17(Tue) 09:28:59
No.4097  - E-mail -

『淀川西岸線』-2  No.4096のつづき

4.「特許状の下付と命令書」
1919(大正8)年7月21日
さまざまな理由から競願線は退けられ、京阪の出願に対し特許状と命令書が下付された。
命令書には「大正13年7月20日マデニ工事ヲ竣工スヘシ」とあり、
特許状には以下の通牒が付帯していた。 要旨を記す。
 野江、天満橋間現在開業線ヲ使用スルニ於テハ大阪、京都間交通ノ輻輳ヲ緩和スルコト能ハサルモノト認メラルルヲ居以テ本区間ニ対シテハ更ニ線路ヲ増設スルカ又ハ既設鐵軌道ニ対シ打撃ヲ與ヘサル範囲ニ於テ起点ヲ他ニ求ムル等相当方法ヲ講スルモノトシテ特許・・・との条件がつけられた。
つまり、京阪間混雑緩和のためには新路線の大阪側の起点を天満橋以外に設けよとの主旨であった。

5「野江-淀間線路一部短縮」
1919(大正8)年9月10日 特許線の大山崎-淀間削除申請
当初計画された野江-淀間の内、大山崎-淀間が短縮される事となった。つまりこの区間が消滅する事に。
1920(大正9)年2月13日「京阪電気鉄道野江淀間線路一部短縮ノ件」許可

6.「特許支線一部変更許可申請書」
1919(大正8)年12月26日
淀川西岸線では上記特許状の条件に合わすためか、支線一部認可申請を提出した。
その内容は、特許を得ていた野江-西成郡中島村(現在の上新庄付近)を廃止し、中島村から別のルートで淀川を渡り大きく南西に毛馬で別の計画の大正8年12月8日に特許を受けていた城北支線延長線の毛馬で繋ぎ川崎町まで伸ばす事にあった。 川崎町は現在の天神橋六丁目辺りと思われさらにここから梅田を目指す計画であった。
しかしこの計画は次の城東線廃線跡利用へと変わり、未完に終わる。
この結果、当初計画の野江-淀間のルートはほぼ別線に置き換わる事となった。

7.「城東線廃線跡利用」
城東線が片町駅付近から大阪駅までのルートを北東に変更するという話が伝えられ、その廃線跡の払い下げを申請し吹田から城北を経由し城東線櫻之宮から梅田を目指すようルート変更を申請し1920(大正9)年5月20日鉄道大臣から認可された。
しかし契約が大阪市との相談がなく結ばれた事から様々な問題が発生、大阪市の要望を受けるという条件付きで1921(大正10)年10月26日北区本庄葉村町-大山崎間の軌道特許が与えられた。
 こうして、淀川西岸線の大阪側起点は梅田に近い本庄葉村町となったが新路線の敷設が京阪の金融面で大きな負担となる事から別会社として実現を図る事となった。 しかし、払い下げられる城東線は他への譲渡が禁じられており新会社には城北から京都間を譲渡し完成すれば京阪と路線を接続し共用する方針であった。

先に紹介した『新京阪鐡道』の「城北京都線」の大阪側の起点が城北であったのはこれにより明確となった。
一方、城東線の高架化はなかなか進展せず、1923年北大阪電鐵買収で天神橋を起点とする事で新京阪の大阪側の起点は一応の解決が図られた。

8.「軌道を鉄道に変更」
1921(大正10)年11月14日 「軌道ヲ地方鐡道ニ変更申請書」
大正8年7月21日特許の軌道を地方鐡道に変更申請  理由書 該当区間は全部新設軌道にて敷設する設計のため
1922(大正11)年4月24日許可される。
線路豫測平面圖及び縦断面圖が添付されており次項で記す。

9.「新京阪鐡道の創立」
1922(大正11)年6月28日 新京阪鐡道株式會社創立總會開催
1922(大正11)年7月31日 申請
1922(大正11)年10月9日 鉄道大臣伯爵 大木遠吉から城北村から四条大宮に至る鉄道敷設権譲渡の認可を受ける
1922(大正11)年12月30日 会社登記が完了

上記6月28日開催の總會には總會決議録が残されており、下記の一文が記載されている。 要旨を記す。
第三条 大阪市北区葉村町千百一番地ヨリ大阪府東成郡城北村大字赤川字東浪千百八十五番ノ二ニ至ル区間ノ鐡道ハ甲ノ委託ニ依リ乙ニ於テ工事ヲ施工シ竣工ノ上ハ主務大臣ノ許可ヲ得テ甲乙之ヲ共用スルモノトス・・・以下、略
 甲は京阪、乙は新京阪で北区葉村町-城北村赤川に至る区間は京阪の線路を共用する事となる。・・・上記7に関連。

つづく。













● 京阪淀川西岸線-1

投稿者:671001さん  投稿日:2018/04/16(Mon) 09:23:33
No.4096  - E-mail -

『京阪淀川西岸線』-1

はじめに
今日は、2018年4月16日です。
100年前の1918(大正7)年4月16日、京阪電氣鐡道より、
 内閣総理大臣伯爵 寺内正穀 殿、 内務大臣男爵 後藤新平 殿 に宛て、
「野江淀間支線敷設特許申請書」が、出願された。 現在の阪急京都線に繋がるスタートがこの日切られた事になる。
以下、この日から阪急京都線の前身「新京阪鐡道」に至る迄の歴史を追ってみたい。

ここに、京都府立京都学・歴彩館で所蔵されている京都府庁文書、
 「大 7 85 自大正七年 至大正十一年 京阪電氣鐡道淀川兩岸線免許竝権利義務譲渡ニ関スル一件」
という簿冊があり、この中に淀川西岸線に関する出願書等が綴じられている。
簿冊を紐解くと大正七年から十一年にかけての京阪における新線計画や本線の改良に関しての申請書類が見受けられる。
・新線計画では、淀川西岸線に関する出願関係書類
・東岸を走る本線に関しては、枚方町から牧野村にかけての直線化(1m22ch)と東成郡榎並町から清水村、つまり現在の蒲生-森小路間の直線化の出願書類である。
簿冊の題字通り、淀川兩岸における当時の京阪の鉄道計画が綴られている事になる。

ここでは「淀川西岸線」に限って、その経緯を出願書類に添付されている路線平面図、他からそのルートをたどって行きたい。

「淀川西岸線」計画の背景
淀川西岸線の背景について京阪社史「京阪百年のあゆみ」から(要旨)
京阪電鉄は淀川東岸を本線として開業したが、開業直後から淀川西岸を通る鉄道計画が現れ、競争線となる恐れがあった。
その1つは阪神電鉄の京都延長線で1913(大正2)年3月5日に許可申請書が提出されている。結局、この計画は実現しなかったものの、第1次世界大戦の好景気の影響を受け、名阪電力鉄道、阪京電気軌道、京阪急行、京神急行等の敷設計画が申請され、競争線となるため対応を迫られた。他にも1918(大正7)年11月に北大阪電気鉄道が設立され吹田から京都への路線を申請している。
 1918(大正7)年4月16日、京阪は淀川西岸を走る新線について以下のような申請書を首相・内務大臣に提出した。
・弊社では逐年貨客増加に対し改善を加え運輸の迅速と安全に苦心
・野江淀間は公道併用個所が十分の四に達しその改善は到底容易でない
・社会の進度は交通機関の発達改良を促進している
・この際同区間に支線を敷設して貨客の利便を増進
これにより淀川西岸を走る支線が、翌年7月21日特許を得る事となった。

ここからは、主として京都府庁文書と京阪百年のあゆみより。
1.当初計画「野江-淀間支線敷設」
1918(大正7)年4月16日 「野江淀間支線敷設特許申請書」
同書に添付されている、企業目論見書に記載されているルートは
大阪府東成郡榎並町字野江三百四番地ノ二ニ於テ幹線貳哩九鎖ヨリ分岐シ 同郡城北村ヲ経テ淀川ヲ渡リ 西成郡豊里村、大西村、中島村、三島郡吹田町、岸部村、味舌村、三宅村、宮島村、玉櫛村、溝咋村、三島村、富田村、如貞村、大冠村、高槻町、五領村、島本村、京都府乙訓郡大山崎村、淀村ヲ経テ桂川ヲ渡リ紀伊郡納所村字納所旧淀川廃川敷地内ニ於テ幹線貳拾壱哩参拾五鎖ニ接続スル延長拾八哩四拾鎖ノ支線ヲ敷設シ・・・以下略

野江淀間支線敷設平面圖から現在の国土地理院地図に置き換えルートをたどる。
 起点となる野江は現在の複々線の野江駅ではなく、旧線の野江駅(天満橋より3.4Km)である。旧線の野江駅は地下鉄谷町線の野江内代駅付近でここから分岐し北方へ城北公園西方から淀川を渡り、阪急京都線上新庄駅の東側から相川駅東へ、安威川を渡った辺りから吹田市へ、北東へ向きを変え正雀駅東側を通り摂津市に入り近畿自動車道摂津北IC北側を進む。さらに北東方向へ茨木市東部から高槻市に入り、高槻城址南東側から上牧付近で阪急京都線、東海道線に接近する。ここからは京都線に沿って水無瀬神宮の東側から大山崎へ。大山崎からは桂川に沿い名神高速道路大山崎JCT・ICの南側から小畑川を越えた辺りで東へ、宮前橋下流で桂川を渡り京阪本線淀駅手前で北東へ、高架となった淀駅北側で京阪本線と合流する(天満橋より34.5Km)。支線延長は29.8Kmで野江-淀間の途中駅の表示はない。
相川付近より上牧まではほぼ直線で阪急京都線と新幹線の中間辺りを進むイメージ。

2.「京都への支線延長」
1918(大正7)年12月27日「支線延長敷設特許申請書」
大山崎から四条大宮への支線延長申請が追願される(15.2Km)。
京都府乙訓郡大山崎村-新神足村-向日町-久世村-吉祥院村-川岡村-桂村-京極村-西院村-京都市下京区四条大宮
上記、野江-淀間は京阪線の補助路線であって利用客にとっては便利でないとの考えから京都市内を目指す事となった。
 前回の『新京阪鐡道』において「別ルート」として免許線の大山崎-四条大宮間を取り上げ大阪側のルートを不明としたが、上記1.の「野江-淀間」で大山崎で繋がる事で大阪側のルートがこれで判明した。

3.「ルート変更」
1919(大正8)年5月1日「野江淀間支線敷設特許申請書訂正御願」
起業目論見書ヲ左記ノ通リ訂正 として、経路変更を申請。変更路線平面図添付。
 変更となったのは、淀川を渡ってから上牧付近までのルートが変更された。相川付近から上牧付近まで現在の阪急京都線と同じルートとなった。変更理由は記載されていない。
変更理由は明らかでないが考えられるのは、当初計画は立案を急ぐ余り相川付近から上牧まで直線でルートづけされている。ルート上では茨木町、高槻町との中心部とは離れており目立った集落も無い地に線を引いた事になる。
経路変更案ではまだ人口の集中するほぼ東海道線に沿う現在の阪急京都線のルートとなり、添付圖には変更線は604m増加と記入されている。

つづく。


















































● こんなのがあったんですね・・・

投稿者:通りさん  投稿日:2018/04/16(Mon) 03:05:19
No.4095


<銀座線に桜トレイン>
存じませんでしたので残念ながら情報伝達できませんでした・・・

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180313-00010000-norimonov-bus_all


● ワンハンドル・初の運転台撤去か・・

投稿者:麻夫さん  投稿日:2018/04/14(Sat) 14:59:15
No.4094  - E-mail -

 こんにちわ、ここ数年、阪急では1000系列の新造が続けられており、まったく新造がなかった16年前とは考えられない状況になっています。
一方で比較的新しい在来車のリニューアルも行っているので、新造車でなくても快適な車両が増えていると思います。
そんな中、今回7300系に、運転台を撤去した車両が出たとの情報がありました。その編成は7324F編成で、この編成はもともと2+6というもので、中間となる7454号と、7310号の2両だとか・・・そのうち7310号は、VVVF制御の試験車として登場した車両だそうで、運転台撤去にあたり、どのような姿で出てくるのかが気になるところで、阪急のワンハンドル車として運転台撤去される中間車は、今回が初めてのケースではないでしょうか!?また、阪急で、運転台撤去される運命の先頭車は、その多くが営業時に先頭に出る機会が少ない、もしくはない車両が多く、かつての方向幕取り付けの際も、先頭機能はあっても正面の改造は行われない例もあり、5000系など、2度改造した際には完全に中間車になってしまうほどでした。
そんな中、7310号は、営業時に先頭に立ったことがある車両で、このような車両の中間車化は、珍しいケースではないでしょうか・・・


● 700系新幹線 20年春に引退へ

投稿者:通りさん  投稿日:2018/04/12(Thu) 00:14:50
No.4093


そうなるそうです

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180409-00000102-jij-soci


● フラワーパークにふさわしいバイオリンの発車メロディー!

投稿者:上新庄さん  投稿日:2018/04/11(Wed) 23:07:37
No.4092

4月1日、両毛線に「あしかがフラワーパーク駅」が開業しました。

これは栃木県ディスティネーションキャンペーンに合わせたもので隣の富田駅とは900mしか離れておらず、当面は同一駅扱いとなります。
このためあしかがフラワーパークと富田駅間だけの利用はできないようです。

さて気になる発車メロディですがなんと!

「あしかが輝き大使」を務めるバイオリニストの古澤巌さんの「Fine Day!」です!
この曲は2007年から2010年までテレビ朝日の情報番組『やじうまプラス』のテーマ曲として使われたもので、古澤さん本人の演奏により上り線用・下り線用として改めて収録しました。

高崎方面はサビ、小山方面はAメロです。

まさかのバイオリンの発車メロディーです!

聞いてると通勤の時とかで聞くと気持ちが良さそうです!

チョイスが珍しくよかった気がします!

もっと増やしてほしいものです!


● リニモ、13年目の春

投稿者:麻夫さん  投稿日:2018/04/06(Fri) 15:44:59
No.4091  - E-mail -

 こんにちわ、去る4/3〜4に、春の気晴らしの遠出をしてきました。
 私事ですが、小田原以西が好きで、春と夏は東海方面の旅行が多く、宿泊先はここ数年、岐阜県の北東部と続き、一昨年は多治見に、次の年は恵那、そして今年は中津川でした。
 さて、この旅行の一日目は名古屋地区の観光をしてから宿泊先へと向かうのですが、今回は長久手にある“トヨタ博物館”へと立ち寄りましたが、このときにリニモを利用しました。
リニモの利用は‘05年の「愛・地球博」の時以来ですが、あれからすでに13年の年月が経過したのは早いものです。
リニモは地球博終了後、利用客の伸び悩みが叫ばれていましたが、ここ数年は、駅周辺に、トヨタ博物館を含む施設がオープンし、さらに車から公共交通へのシフトの傾向もあるようで、おかげで持ち返しているようで、数年前に増発を行い、全国共通ICカードも利用が可能となりました。また、今回の車窓からは、かつての博覧会場が見えましたが、好天だったこともあり、公園内はにぎわっていたようです。
リニモは国内唯一の浮上式リニアモーターカーで、かつては休止となっていた“ドリーム交通モノレール”もこの方式で復活する話もありましたが、こちらは念願が叶わずに終わり、その後もこの方式の鉄道計画は中央新幹線以外はないようですが、藤が丘駅は地下となっていて、ガラス張りの正面からここを通るとき、ライトに照らされたレールを見ると、どことなく遊園地のミステリーツアーのアトラクション感覚が味わえて、かなり乗り応えがあります・・・


● 大阪メトロ本日から始動開始

投稿者:通りさん  投稿日:2018/04/01(Sun) 05:22:40
No.4090


そうなりました
ホームページURL等も変更が掛かってます

http://www.osakametro.co.jp/


● 9301F

投稿者:通りすがりさん  投稿日:2018/03/31(Sat) 20:53:02
No.4089

今日9301Fに乗り合わせました。

ドア横の握り棒は9000系後期と同じモノに。
ドア寄りのクロス固定部の背面木目カバーを交換。
床面張り替え。
意外なのは中吊り広告枠を二ヶ所増設。

個人的には有事の非常時を考慮して、車端部を開閉できる構造にするべきだと思います。


● JR三江線廃止について

投稿者:通りさん  投稿日:2018/03/31(Sat) 02:08:56
No.4088


気が付いてみたらもう喫緊に迫ってました・・・
(4月1日廃止・運転は3月31日まで)

これが本当にもう最後なのでとても残念です

http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/09/page_9318.html


● まさか先見の明??

投稿者:上新庄さん  投稿日:2018/03/30(Fri) 20:43:19
No.4087

東急は26日、平日夜の有料座席指定サービスを2018年冬から大井町線で開始すると発表しました。
3月28日にデビューの6020系のうち1両をロング・クロスシート転換車両に置き換え、平日夜に座席指定サービス車両として運用します。

大井町線では3月28日から6020系を2編成つくり、デビューしていますが、3月30日にダイヤ改正が実施され、朝ラッシュ時間帯の急行の増発、夕夜間の各駅停車および田園都市線直通列車の増発などでラッシュ時間帯の利便性を高めます。

2018年冬から開始予定の有料座席指定サービスでは、6020系の1両をロング・クロスシート転換車両とし、平日夜の19時30分頃から23時台にかけて座席指定サービス車両として運用します。
指定席は40席程度で、他の6両はこれまで通り、誰でも乗車できる車両とします。
大井町線・田園都市線を直通する大井町発長津田行の急行として、平日夜に5本程度の運行を予定しており、有料座席指定サービス区間は検討中です。
営業運転開始日や料金、販売方法なども含め、詳細は決まり次第、発表します。

せっかくデビューしたばかりの6020系をいきなり1両差し替えると言う驚きの方法に出ました。

初めから1両だけそうすればよかったと思いますがもしかしたら6020系は7連バージョンのほかに5連バージョンをつくりその5連バージョンに差し替えられた1両を組み込んで8500系や9000系を置き換える可能性もあります。

とはいえ6020系と同じ日にデビューした2020系はもしかすると既存者をすべて置き換える勢いになれるか注目です。


● とうとう・・・

投稿者:上新庄さん  投稿日:2018/03/30(Fri) 20:27:25
No.4086

3月28日、ついに京急2000形が引退しました。
1982年に快特用としてデビューし72両がつくられました。
当時は珍しかった転換クロスシートや居住性で人気を博し、京急ウィング号でも活躍しました。
しかし1998年に2100形がデビューすると3扉化とロングシート化され運用範囲も変わりましたがそれでも京急の主力として活躍してきました。
ところが快特用だったためが老朽化が先輩の京急800形より進行してしまいついに36年の歴史に幕を下ろしました。

主力として活躍したものの非貫通で泉岳寺にいけなかったことや走行距離などで使いにくくなってしまったのが残念ですが本当にお疲れさまと言いたいです。

とはいえ京急800形はもともと各停用としてつくられているほか6連と京急の各停としては使えるため脇役ながらもまだまだ残っていることを考えるとなんか残酷な気持ちになります。

2100形も同じ運命にならないことを祈ります。


● JR西 新駅設置か?

投稿者:堺筋準急さん  投稿日:2018/03/29(Thu) 23:54:00
No.4085

 先日のダイヤ改正でJR総持寺駅ができて間もないですが、早速JR西と高槻市との間で新駅設置の可能性を検討する勉強会が4月より始まります。高槻市側が検討対象している場所は、高槻〜島本間のほぼ中間にある桧尾川東側地域です。


● 住みたい街ランキング最新版

投稿者:通りさん  投稿日:2018/03/29(Thu) 23:28:39
No.4084


若干掲示板の趣旨やネタ違いなので削除覚悟での投稿なのですが
表題の情報が最近発表されましたので書いておきますね

誰もが知ってるようなお馴染みの有名な街が上位にランキングされてます
佐味田川クラスは流石に入ってないですね・・・

https://suumo.jp/edit/sumi_machi


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